果たされなかった「1月13日の再会」 中村哲さんの遺志継ぐJICA専門員
そんな中村さんのことを、「アフガニスタンの人々も尊敬していたし、タリバンも先生のことは大好きだった」と永田さん。 「タリバン」と聞くと、危険な武装集団という印象が付きまといがちです。例えば、公安調査庁のHPでは「アフガニスタンで活動するスンニ派過激組織。アフガニスタン政府や同国駐留外国軍を主な標的としてテロを実行」と説明されています。 しかし、現地の人々から見ると地元の農村を安定・維持させるために外部から守っている組織という面もあるそうです。飢餓をなくし、衛生面でも安全な地域づくりに邁進していた中村さんはタリバンからも一目置かれていた、と永田さんは話します。 実際にタリバンは、中村さんの事件の直後に関与を否定する声明を出した、と報じられました。
中村さんの手法に、アフガン平和へのヒント
永田さんは水資源やエネルギー分野の専門家として、2011年末から2014年初めまで2年ほどアフガニスタンの首都カブールに派遣されていました。その間は資源を管轄するアフガニスタンの中央機関で勤務しました。 「とにかく、ほこりまみれでした。窓ガラスを閉めていても、車の中も、オフィスの中も気づくとほこりがうっすら積もっていて。冬は寒いし、夏は暑いし、乾燥するし……。日本の感覚ではとても暮らせません」
永田さんが中村さんと初めて出会ったのは、帰国後の2014年のこと。永田さんが「なぜアフガニスタンは平和にならないのか」をテーマに大学院で論文を書き始めてからです。 「2001年の事件(米同時多発テロ)が起きて、戦争があって、その後に各国からの援助が始まって十数年経つのに、それでもなんでこの国は平和にならないのか。その1つの答えが中村先生の事業にあるのではと考えました。先生が関わった地域は、その後も平和なんですよ。安定しているんですよ。これはなぜか、と。だから、中村先生のことは知っていたのですが、直接お会いしたのはそれからです」 「会って話しに行くと、本当に忙しい人なのに時間をとってくれるんですよね。2時間も3時間も4時間も。それ以来よく会うようになりました。年に4、5回くらいでしょうか。先生が日本に帰ってきたタイミングで会っていました」