果たされなかった「1月13日の再会」 中村哲さんの遺志継ぐJICA専門員
「中村流」をガイドラインに
論文を書き終えた後も、永田さんと中村さんの交流は続きました。 昨年から、アフガニスタン政府関係者、用水路造りのエンジニア、JICAの担当者を交えて、中村さん流の用水路造りの手法をまとめ、中村さんが現場にいなくてもアフガニスタン各地で同様の事業ができるようにするための「ガイドライン」作りが始まりました。これに永田さんも参加しており、中村さんが日本に帰国する際には会い、地元の人々とのコミュニケーションや連携の仕方など、細かいことまでノウハウを聞き取ってまとめる作業をしていました。
中村さん自身もガイドラインの作成にとても前向きだったそうです。 「先生の頭の中のものを全部ガイドラインに入れたいと言ったら凄く喜んでくれて。それまで、先の予定について中村さんから連絡があったことはなかったのに、いついつの予定を空けておいて、とメールが初めてきて。家は福岡なのに、『東京でもいいよ』って言ってくれたりしました」 昨年、永田さんはこのガイドライン作りに絡んで4、5回ほど中村さんと会いましたが、うち一度は永田さんの自宅に中村さんが足を運んできたこともあったと言います。 そして、昨年11月19日。正月に再会することを約束して別れました。
中村さんの遺志を継いで
中村さんが亡くなり、JICAの会議の中でも、「先生なしでガイドラインは作れるのか?」という意見が出たと言います。 これに対し、永田さんは「できます」と断言したと言います。
「アフガニスタンの地域社会を研究している先生もいらっしゃるし、30年間も中村先生と一緒に現地で活動してきたスタッフ、エンジニアもいます。これらの方々の力を借りて、中村先生の代わりになってもらおうと思っています。おそらく2020年中には日本語版と英語版はできると思います。さらに、現地の人が読めるようにダリー語版も作るつもりです」 ガイドラインが仕上がれば、アフガニスタン中で中村さん流の用水路事業を行うための知見が整理され、肥沃な土地を増やせるようになるかもしれません。永田さんは話します。 「『3食飯が食える、それから家族と暮らせる。アフガンの人が求めているのはこの2点だ』と、中村先生はいつも言っていましたよ」