「犠牲者の名誉を回復したい」――精神医療の近代化と「私宅監置」
「私宅監置」という言葉を聞いたことがあるだろうか。明治時代に始まった、精神障害者を小屋や自宅の一室に隔離する政策である。江戸時代の座敷牢よりも劣悪な環境で人間が暮らしていた。私宅監置を取材する映像作家とともに、沖縄に残る監置小屋の跡をたどった。(文:藤井誠二/写真:ジャン松元/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
戦後の沖縄に残った「私宅監置」
沖縄本島北部にあるその小屋は、うっそうとした樹木に埋もれていた。コンクリートで固めたサイコロのような建物だ。上部にオオタニワタリが生い茂っている。鉄製の扉は、蝶番(ちょうつがい)が劣化して破損し、壁に立てかけられていた。 腰をかがめて中に入る。食事を差し入れる小窓と、南側の壁に小さな穴が五つあるが、採光は十分ではなく、昼間でも薄暗い。鉄の扉が閉められ、外からがっちりと錠前がかけられたら、中に閉じ込められた人の恐怖は相当なものだったに違いない。 床の片隅に溝が穿(うが)たれていた。そこは排泄をする場所で、たまったふん尿を外から家族が定期的に掻き出す仕組みだったという。 外に出てもう一度全体を眺める。何も聞かされていなければ、農機具小屋か、家畜を飼っていた小屋に見える。数メートル先に物置があり、その隣に瓦葺きの母屋がある。声を出せば、母屋に届いただろう。
そこに閉じ込められていたのは、富俊さんという男性だった。 富俊さんは違法に閉じ込められていたのではなく、私宅監置という制度にもとづいていた。私宅監置とは、精神障害者やそうだと疑われた者を、家族が、自宅の一室や敷地内につくった小屋に閉じ込めておく仕組みのことである。 1900年に制定された精神病者監護法にもとづくもので、家族は警察(のちに保健所)に届け出たうえで私宅監置を行っていた。1950年の精神衛生法の成立によって精神病者監護法が廃止されるまで、日本各地で行われていた。 しかし、戦後アメリカの占領下に入った沖縄は事情が異なった。1960年に琉球精神衛生法が制定されたものの、医療事情が貧しく、私宅監置は廃止されなかった。1972年に日本に復帰するまで、沖縄の私宅監置は続いたのである。