西陣織を世界へ 「五代龍村平蔵」襲名の龍村育さん 躍動する「和」に織物の未来託して 一聞百見
古代中国の想像上の瑞鳥、鳳凰をかたどった茶道具がそのまま帯に写し取られたよう。釉薬や陶器の質感、鳥の目の表情などがみごとで、その緻密な表現に驚くばかりだ。
帯に限らず、会場でひときわ存在感を放つ作品があった。特大サイズのサイのオブジェ(木目込み人形、桐塑=とうそ=と呼ばれる粘土の土台に布をはめ込んで作る)である。色とりどりの織物を全身にまとい、まるで一体まるごと、龍村の帯地見本のようでもある。
「織物は立体だと思っているんです。その立体感をさらに表現しつつ、生活に取り入れてもらえる、何かかわいらしいものはないかと考えたコラボ作品です」
毎年、干支(えと)の人形などを縁起物として作っているが、これほど大きいものはなかなかない。しかもサイ。もっとも、正倉院にはサイの角で作った「犀角杯(さいかくのつき)」があり、美術品のモチーフとしては珍しくないのかもしれないが…。人形も意外と人気なのだそうだ。取材の後、売れたと聞いてまた驚いた。
龍村さんは子供の頃、祖父の家に行くと工房に出入りして織物に親しんだ。三男でメーカー勤務だった父が、龍村美術織物に入社したのを機に神戸から京都へ。モータースポーツが好きで東京の大学に進学しスポーツ紙に就職したが、父の四代襲名後、呼ばれて自身も龍村に入った。
「迷いがなかったわけではありません。父もあれこれという人ではなかったけれど、次は自分かなと思うようになりました」
とはいえ、当初は専門用語もわからず五里霧中だった。
「最初に技術部という織物の設計をする部署に配属されたんです。エンジニアだった父の発想ですね。モノづくりは基礎から勉強しなければならないということでしょうが、つらかった」と苦笑する。
「今では父に感謝しています。実際に自分で考えて初めてわかることがある。その経験がとても生きています」
明治から令和へ―。代をつなぎ、織物への情熱も確かに受け継がれている。
■クリエーターとコラボ、着物文化を次代に