新車当時150万円! マツダの「軽スーパーカー AZ-1」が凄かった! 5速MTのみでミッドシップに「高性能ターボ」搭載! 「ガルウイング」採用の“スペシャル軽”「AZ-1」の魅力とは
今でも「スーパーカー的」キャラクターは健在
AZ-1の販売は1992年10月から始まりましたが、実は原型となるモデルが存在しました。 それが、1989年の「東京モーターショー」に出品されたコンセプトカー「マツダAZ550」です。
AZ550には、AZ-1に近いスタイリングで「気さくなシティランナバウト」をテーマとした「タイプA」、フルフェイスヘルメットをイメージしたデザインの「スーパーライトウェイトスポーツ」の「タイプB」、そして当時隆盛したレーシングカーカテゴリー「グループC」マシンを模したような「タイプC」の3種類が用意されました。 中でもタイプAの評判が高かったことから市販化が決定しました。ウェッジシェイプのスタイルはそのままに、ショーモデルのリトラクタブルヘッドライトを楕円形の固定式に変更。 発売までの3年間に軽自動車規格が変更になったことを受け、ホイールベースの延長や排気量の拡大(550ccから660cc)のほか、安全性・快適性の向上が行われています。 発売当初の販売価格は149.8万円で、当時の軽自動車が50~90万円程度だったことを考えるとかなりの高額でしたが、成り立ちや内容を考えると、現在ではこの価格でもバーゲンプライスに感じられます。 なお同じエンジンのアルトワークスの「RS/X」は約100万円、ライバルのビートは138.8万円、カプチーノは145.8万円でした。 しかし時はバブル崩壊期。趣味性が強く価格も高いAZ-1の販売は低迷します。 1993年1月には装備を増やした「タイプL」を追加したり、スズキからもOEMモデルとして「キャラ」を販売。 そして同年6月にはマツダスピードのボディパーツを備えたコンプリートカーの「マツダスピードバージョン」、マツダの商品企画などを担当した「M2」ブランドから発売した「1015」などを追加したものの好転はせず、1993年10月に生産を終了。 生産台数はAZ-1が約4400台、キャラに至っては約530台のみで終わってしまいました。 そんなAZ-1ですが、そうしたマニアックな成り立ちや凝った設計、そして希少性から、生産が終わって30年以上が経った現在でも高値で取引されています。 ※ ※ ※ ミッドシップ、ガルウイング、2シーター、スケルトンモノコック+FRPボディ、クイックすぎる操縦性など、ぶっとんだ個性のカタマリだったAZ-1。それはまさに、“マイクロスーパーカー”と呼んでも差支えはありません。 軽のスポーツカーがもし今後開発されるとしても、これほどに変わったクルマは今後2度と出ることはないでしょう。これからも自動車史の記録に残していきたい1台です。
遠藤イヅル