月収30万円の35歳・元公立小学校教師「教育への熱意」が“SNSで大炎上”も…たった1年で〈年収2,500万円の社長〉になれたワケ【経営コンサルタントが解説】
“ルール”から外れる誠二さんに向けられた厳しい目
しかし残念ながら、情熱だけでは思うようにことは進まない。 学習指導要領に捉われずに独自のメソッドを展開する誠二さんを、必ずしも良しとしない上司や同僚がいた。また、こうした活動には一定のコストがかかるが、学校が許容できる予算の制約も、彼の活動を妨げる要因になっていた。 教師としての活動に限界を感じた誠二さんは、自らの手でより多くの子どもたちに自分の教育方法を広める決意を固めた。「教育コンテンツ」という独自の資産を武器にビジネスとして展開しようと、起業する道を選んだのだ。 誠二さんのプログラムに共感する保護者の支持もあり、私設のオリジナル授業はまずまずの滑り出しであった。そこで、より多くの理解を得ることとコンテンツの磨き上げを目的に、誠二さんは熱意溢れるその教育方法とその成果についてまとめ、SNSで共有し始めた。
SNSで猛批判…起業後も窮地に追い込まれた誠二さん
ところが……。発信したコンテンツの一部が誤解を招き、「教育界の伝統的な手法を否定している」との猛烈な批判を浴びることになったのだ。 インタラクティブな学習方法を推奨する誠二さんの発言の一部を捉えて、「教室での本来の学びを否定している」との声に混ざって、「子どもたちの自主性を重視するとしているが、子どもに過剰なストレスを与えている」との批判もあった。批判者のなかには、なんとかつての上司もいたという。 この炎上は、彼がこれまで築いてきた信頼関係に大きな打撃を与え、支持者だったはずの保護者までもが、誠二さんからしだいに距離を置き始めた。 批判が波紋を広げるにつれ、誠二さんの教育プログラムに対する情熱は、挫折感に塗り替えられた。彼は深く落ち込み、気がつくとすべての行動力の源となっていた自身の教育理念さえも疑い始めるようになっていた。
絶望の誠二さんを救った「教え子からの手紙」
そんなある夜、誠二さんは自宅でふと、かつての教え子からの手紙を見つけた。その手紙には、彼の教育がどれだけ自分にとって意味があったか、そして社会的スキルを身につけられたおかげで友達ができ、いかに学校生活が楽しくなったかが素直な言葉で記されていた。 この手紙を読んだ誠二さんは、自分の使命と初心に立ち返った。彼は理解されないことに直面しても、自分の信じる道を歩むべきだと決意を新たにしたのである。 翌日、誠二さんは具体的な行動計画を立て始めた。 彼は、自身の教育法の意図をもっと明確にし、誤解を生む余地を減らすために、具体的な教育成果と理論的背景を組み合わせた情報発信戦略を練った。さらに、彼は批判に直接対話で応じることで、コミュニティとの関係を修復しようと考えたのだ。 そこからの誠二さんの行動は早かった。まずはオープンフォーラムを設け、保護者や教育関係者と直接対話する機会を設けることに。彼は自らの教育法の真意を丁寧に説明し、保護者や教育関係者の意見に耳を傾けた。 このプロセスを通じて、彼はプログラムを改善し、より多くの人々に受け入れられる形に再構築することができたという。 また、SNSでの情報発信においても、よりわかりやすく誤解のない形で発信するよう工夫を凝らした。 こうした誠二さんの努力は実を結び、彼のビジネスは再び成長路線に戻ってきた。翌年には年商が5,000万円に達し、彼自身の収入も教師時代の5倍の2,500万円に。彼のプログラムは再評価され、特に個別の対応を必要とする子どもたちの保護者から高い支持を得ている。