「法の支配」が揺らぐ中国市場で問われる「日本企業の覚悟」 …次の30年を後悔しないために
経団連が示した「目指すべき国家像」
最近、IRの現場で多く語られる言葉に「ビジョン2030」というものがある。これは、それぞれの企業が、まずは2030年にかくありたい姿というものを社内の議論で浮かび上がらせ、そこに至る経路を描こうとするものだ。バックキャストという言葉もある意味流行で、実際に策定される足元の中期経営計画(3年スパンが主流だが)も、その「あるべき姿」から、引き戻して考えられていることが多い。 【写真】習近平が招いた?中国「100年に一度の大洪水」 こうした手法の成功事例として連想するのは、例えば大谷翔平になるだろう。彼が高校時代から、<かくありたい未来の自分>を設定し、そこに向かい「すべきこと」を整理していったことは有名だ。逆に我が国が、司馬遼太郎史観ではないが、明治維新後は「大国の席に列する」こと、そして戦後は経済大国「アメリカのような豊かさ」という<坂の上の雲>を目指し、その雲にたどりつけたか、と考え、あるべき姿が霧散したときから転落・迷走していったのは、悪い事例なのかもしれない。 国家ビジョンのなさが問題だ、とする議論をこの「失われた30年」の間に、我々はどれだけ耳にしただろう。 その意味では、あまり大きな話題にはならなかったが、去る12月9日に経団連が発表した『Future Design2040「成長と分配の好循環」~公正・公平で持続可能な社会を目指して~』は、100枚!のスライドを使って、経団連(財界)が描く「2040年にかくありたい我が国の姿」を提示していて、年末年始、もしお時間があれば一読をお勧めする。ここには明確に賛否はあっても国家ビジョンが示されている。 「成長と分配の好循環」という言葉は、岸田政権とそれを引き継ぐ石破政権の「新しい資本主義」のスローガンでもあり、その意味での連動性や官民一体となった方向性を感じる。20世紀的な世界把握に資本と労働の対立があるが、資本サイドそのものである経団連が公平や公正を謳い、厚い中間層にこそ資本主義再生の鍵を見出しているのは興味深い。それは一部の例外を除いて、我が国の巨大企業トップは自らがオーナーではなくサラリーマンであることからも導かれる解に思えるが、そこで提示された「2040年のかくありたい我が国の姿」が図1になる。 そこでは目指すべき国家像が「国民生活と社会の姿」「経済・産業の姿」「国際社会における地位」に分けて示されている。「国民生活と社会の姿」については、それぞれの個性が生かされ、将来世代が希望を持つことができる公平・公正で持続可能な社会が、「経済・産業の姿」では、科学技術や貿易・投資を通じて成長と分配の好循環を継続させること、そして「分厚い中間層」の形成が謳われている。そして、最後、「国際社会における地位」については、総合的な国力の向上を図りながら、「法の支配に基づく自由で開かれた国際経済秩序」の維持・強化に貢献できる国家が目指すべき姿とされている。 そのための克服課題として掲げられているのは2つの課題、「少子高齢化・人口減少」そして我が国が「資源を持たない島国である」という制約になる。これは我が国固有の課題になるが、更に大きく我が国を取り巻く環境について「自然災害の頻発・激甚化」「生態系の崩壊」そして「不安定な国際経済秩序」が挙げられている。