僕はなぜVWのトランスポーター、タイプ1・タイプ2に惹かれるのか?
エンジンは空冷 OHV水平対向4気筒で、1.2ℓ/40ps。余裕ある性能とは言えなかった。でも、飛ばすクルマでもないし、低いギア比による低速性能はまずまずだった。 リアマウントのフラットフォーは、パワーはなかったが、気持ちよく、スムースな走りを味わわせてくれた。乗り心地も良かったという記憶がある。 先述したがT2(タイプ2)は1967~1979に生産された。シャシもエンジン/トランスミッションも、基本はT1から受け継いでいるが、フロントウィンドゥが1枚ガラスになるなど、ルックスは一新している。 運転視界だけでなく全体の視界が大幅に向上し、内装もモダンに快適になった。 リアサスペンションも改良され、1971年からはフロントにディスクブレーキが組み込まれた。エンジンも1.6ℓになり、エンジン出力も50psに引き上げられた。 スペック的には大したことはないし、事実、速くもなかった。 このT2のマイクロバスには、いろいろなところ、いろいろな場面で乗っているが、仕事での空港送迎や、仕事先からホテルへの移動がもっとも多かった。
フラットフォアの音は煩くなかったし、乗り心地も優しい感触。乗っても運転しても,なにかホッとするような感覚だった。 僕が、VWトランスポーターの、T1、T2が好きだった(今もまだ好きだ)のは、ルックスを含めての「優しい感覚」に惹かれていたのではないかと思う。いや、きっとそうだ。 ところが、VWトランスポーターとの思い出の中で、もっとも強烈に脳裏に残っているのは、オーストラリアのサザンクロスラリーでのこと。 1972年、アンドリュー コーワンのドライブするギャランが、国際ラリーでの初優勝を三菱にもたらした時のことである。 この時、僕は雑誌記者として、準備段階からチームと同行。取材係とともに雑用係をも仰せつかった。 より正確に言うと、雑用係などまったく予想もしていなかった。だが、チームと日々を共にしている間に、僕は、いつのまにか雑用係になって(させられて)しまっていたのだ。 まあ、最年少だし、取材でとくに忙しいといったこともなかったので、僕は気軽に引き受けていたが、、雑用係の仕事のひとつに運転係も入っていた。