指名漏れから2度目ドラフトを待つ異色の155キロ大谷世代右腕
2年前のドラフト漏れを乗り越えて
だが、以降は度重なるケガに泣かされた。3年秋のリーグ戦で横のスライダーを投げたときに右肘内側の靭帯を痛めた。手術や保存療法を施すほどではなかったが、翌春に右肩関節炎。復帰したのは4年の秋だった。 「投げられることのありがたみを感じた」 復帰後初先発となった10月の秋季リーグ戦では、5安打11奪三振1失点で完投勝利、最速150キロを叩き出して健在ぶりをアピールした。この年のドラフトでは、志望届けを提出したが、故障明けに加えて、指名順位が3位以下なら日通へ進むという条件をつけていたことも手伝ってか、まさかの指名漏れとなった。 「ケガをしてブランクもあったし、しょうがない。もちろん悔しかったけど、その時点で実力不足。2年後のプロを目指そうとすぐに切り替えられた」 それほど大きなショックはなかったという。 日通へ進むと、ケガ再発防止のため、暫くはフォーム固めに専念した。右肩に負担がかかるテイクバックをより小さく、「身体の上下動が激しく、バラバラだった」という上半身と下半身をうまく使えるように連動させた。また「社会人に入って本格的に取り組んだ」という筋トレにも励んだ。 チャンスは突然やってきた。 都市対抗本戦に向けての強化練習中に、藪宏明監督から打撃投手に指名されたのだ。 「あわよくばベンチ入り(笑)」を狙って、持ち前の球の速さをアピール。さらに大会直前のオープン戦の3試合でも好投。「誰も(試合で)投げられる状態とは思ってなかった」という周囲の予想を覆し、滑り込みでベンチ入りを果たした。都市対抗では、ストッパーで起用された。最速150キロをマークしたストレート主体のピッチングで、チームの準優勝に貢献。同年のアジアウィンターリーグに社会人選抜として派遣された。 ドラフト解禁年を迎え、晴れて先発に再転向した。今季から日ハムから古巣に復帰した武田久投手兼任コーチの「制球をもっと大胆かつ投げミスの無いよう、内外、高低の投げ分けだけはしっかりしよう!」とのアドバイスを胸に、都市対抗の南関東2次予選では、社会人となって初完投初完封含む計17イニング連続無失点。エースの本領を発揮した。 「武田さんのお陰で、100%でなく、70から80%の力で投げても通用することがわかった。昨年の予選には間に合わなかったので(都市対抗は)連れてきてもらった形だったけど、今年は自分が連れて行けたかな」 生田目は、胸を張って2度目のドラフトを待つ。