先輩に何を言われても「俺は上に行くから」…生意気な原口元気と教育係の槙野智章、2人だけの秘話
槙野さんもチーム内のコミュニケーション不足をこう指摘する。
「若手、中堅、ベテランって分かれて固定化されてたよね。うまく間に入ってコミュニケーションを取って、チームを一つにまとめる作業を心がけた。でも楽しかったよね」
槙野さんが移籍してきた1年目の2012年は、リーグ戦を3位で終え、アジアチャンピオンズリーグの切符も手にした。レッズ復活の基盤をつくりあげた一年でもあった。
「浦和レッズがもう一度強いチームになるという雰囲気をみんなでつくれてたんじゃないかな。ポイントになった年じゃない? やっぱり新しいサッカーをしようって」(原口選手)
「先輩たちより俺は上に行くから」
原口選手は2014年にドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンに移籍する。原口さんは「もう1、2年早くても良かったと思う」とも語ったが、一方でこうも語る。
「マキやミシャとサッカーをして、いろんな経験をして、たくさん失敗したことで学ぶものも多かった」
「ドイツはオープンじゃん。やっぱ、日本って厳しいじゃん。上下関係もあるしさ。態度が悪いとか言われるし。僕も生意気だった。だから先輩とぶつかることも多かった。でもうまくマキが間に入ってくれた」
そんな「ヤンチャ」だった原口選手の目には、現在の若い選手たちはどう映っているのだろうか。
「今、俺が33歳でしょ。20代のやつが大暴れしてたら、ぶっとばすかも(笑)」
そう笑いながら、こう付け加える。
「(熱量を持った選手が少ないという面は)確かにそれはあるね。みんないい子だし、変なことはしないけど、本当に『こいつパワーやばいな』みたいな選手はやっぱ少ないかな」
原口選手は、当時の自身の思いをこう語る。
「ぶつかることは多かったけど、それでいいと思ってた。ぶつかって、先輩に怒られて、でも変な話、その先輩たちより俺は上に行くから別にお前らに何を言われようと変えるつもりはないよ、みたいなスタンスだったから」
「でも、マキが先輩との間に入ってくれて『元気の考えてることは間違ってないけど、やり方は違うんじゃない?』みたいな注意をしてくれたことで、自分の表現の仕方もうまくなった。成長して、ドイツに旅立てた」。槙野さんへの感謝の言葉を口にした。