「平和なときに戦争は準備される」 80年後のいま…「戦後」は「戦前」になったのか【報道特集】
そのすぐ近く、首里高校の前身、県立第一中学に通っていた與座章健さん(94)も、軍に学校を追い出され、陣地構築の日々を送った。 與座章健さん 「首里城というのは沖縄の聖地ですから、あんなとこにね陸軍司令部壕はいかんという気持ちは何となくあるんだけども、戦争だからね、誰も何と言うこともないし気がついたら…戦争はみじめだよね」 卒業まで一年を残し、強制的に繰り上げ卒業。鉄血勤皇隊に組み込まれ、家族に最後の別れを告げて来るよう命じられた。 與座章健さん 「(実家に)一晩か二晩おって、首里に戻るとき、あのときの悲しい思いっていうのはもう忘れられない。僕の一生はこれで終わりなんだなと思いながらさ、トボトボ一人帰っていったこと忘れられません」 ■全長約1キロ、深さ約30メートル 第32軍司令部壕で行われていたこと 数日後、アメリカ軍が沖縄本島に上陸。その進軍の目的地、首里城では司令部壕の構築がなお続いていた。 その作業に動員された、儀間昭男さん(96)。 儀間昭男さん 「中の壕を掘って、掘ったのは、あれは兵隊が掘っていたかな。われわれは、その掘り出した土をトロッコに積んで押して、入口からちょっと横に行ったところにこぼしてね」 いま、軍のありように抱いた疑問を思い出す。 儀間昭男さん 「地下に潜ってばかりおったですからね。地面のなかに暮らしておって、どうして戦争ができるかね。しっかりした強い軍隊とは考えてませんでしたね。何も意味ないですよ。そこに土があるから運び出す感じで、撤退するその日までやってるんだから、何も考えも計画もあったもんじゃないと思うんですよ」 かつての琉球王国の象徴、首里城。日本軍が、その地下に、学徒を動員して築いた司令部壕は、5つの坑口と坑道が作られた。全長は約1キロ、深さは約30メートルに及ぶ。 與座章健さん 「通路があって、真ん中から線路が通って、両方に大きな部屋みたいなやつはあちこちあって、そこにいろいろな集まりや会議したりしてるしね」