朝日新聞福島総局長の捏造疑惑炎上ではっきりした「不安な空気」を創っては拡散する「風評加害者」の正体
捏造記事が当事者にもたらす3つのリスク
この記事の問題は、「極めて基礎的な事実確認を怠り、報道が守るべき最低限の公平性・公益性を無視した」のみに留まらない。「被災者として注目されることを避けたいと願う」と訴える、当時子どもだった一般女性を敢えて矢面に立たせ「被災者として注目させた」のは何故か。 これは当事者にとって主に3つのリスクや不利益をもたらす。 まず1つ目は、若年者・被災当事者のトラウマをさらに深める報道被害及び人権侵害の恐れが否定できないこと。記事中で強調された、「止まらない涙」という本人の状況を鑑みれば猶更のことである。 2つ目は、当事者性が何らかの政治的主張や社会運動から盾や錦の御旗、あるいは人質や尖兵のように利用されてしまうリスク。批判や反論の矢面に立たされたり、学者公職者マスメディアなどが内心言いたいが自らは立場上言えない過激あるいはデマなどの事実に基づかない主張を、腹話術のように代弁させられてしまうケースもある。 たとえばALPS処理水問題報道では、毎日新聞が過去に水俣で発生した公害病被害者団体の口を借りることで、「当事者の言葉を紹介しただけ」とばかりに非科学的な思い込みに注釈すら付けず、そのまま紙面に書き広めていた。誤解や偏見を広める「情報汚染」の垂れ流しこそ、報道災害・情報災害と呼ぶべき現代の公害をもたらすにもかかわらずだ。 ---------- 参照)『水俣病患者9団体、処理水放出に反対 「同じ過ち繰り返す」声明』(毎日新聞 2021/4/19) ---------- 3つ目は、中立的な第三者を装いつつ世論や関係者の理解と合意形成を自ら困難に導き問題を深刻にさせておきながら、それら理解と合意形成の困難そのものを新たな記事や社会問題にすることで更なる利益を得ようとするマスメディア・学者・活動家などによるマッチポンプ・クレイム、いわゆる「利益相反行為」に自覚・無自覚にかかわらず協力させられてしまうリスクだ。 たとえ本人が善意の動機であっても問題解決の遅延や妨害に加担する結果をもたらし、当事者同士の分断や対立の一因ともなる。いずれのケースも、場合によっては当事者の人生を長期かつ不可逆的に縛り付けたり、生涯付き纏うデジタルタトゥーにさえなりかねない。 朝日新聞記事の記述には、 『「子どもたちのため」「社会のため」にと、大人が子どもの語りを誘導することもある、と指摘する。それは、報道機関にも当てはまる』 『震災をテーマにする限り、視聴者が理解しやすい「子どもたちの像」が必要なのかもしれない』 『子どもの側も、報道機関の発信に協力したり、発信を見聞きしたりしながら、「像」をつくっていった』 『結論があって、それに自分達が利用されていた。気持ち悪かった』 『茶番に苦しんだ子どもたち』 などとあったが、これらの言葉は朝日新聞の記事にこそ当てはまるのではないか。報道倫理上の問題について、朝日新聞は自社のコンプライアンスとの整合性の中でいかに捉えているのか。