“何で女性が胸を出さなきゃいけないんだ” 俳優としての憤りから性暴力問題の映画製作 監督を取材
■性被害問題に限らず起こる“二次被害”
第三者からの言動で被害者がさらに傷つけられてしまう、いわゆる“二次被害”の問題は、性暴力に限りません。特にSNSでは、 “間違った正義”をふりかざした非難や、誹謗中傷が飛び交い、無法地帯のようになってしまっていると、松林監督は言います。 「揚げ足を取る人が多いじゃないですか。人の悪いところを見つけてやろうとか。揚げ足を取っても何も解決しない。答えを早く出さなきゃいけないことを強いられますけど、急ぎすぎてはいけない。最近は答えに白黒つけたがってグレーゾーンがないというのも私は違うと思います」
■「無意識のうちに…」 誰もが加害者になり得る怖さ
白か黒かを決めたがる風潮を感じながらも、「全てが健全って難しい」と語る松林監督。自身の経験も振り返りながら、「無意識のうちに加害してしまっていることに気づかないことが一番怖い」と、警鐘を鳴らします。 「男女問わず、自分がいつ加害者になるかも、被害者になるかも分からない。私も映画を撮っている中で、上下関係っていうのはもちろん生まれてしまって。監督としてジャッジしなきゃいけない時間や予算の制約の中で、“これがない”“あれがない”ってなってくると、やっぱりどうしても助監督の方とかに“何でないの!”となってしまう。でもクリーンな人なんて1人もいないわけで、社会って上とか下とか右とか左とか関係なく、その一人一人の個性と付き合っていかなきゃいけない」
■社会が変わるために必要なのは、“当事者性”
誰もが加害者、被害者になり得る―― 今の社会が変わるために、何が必要だと感じているのかを聞きました。 「“被害者と加害者”ではなくて“当事者性を持つ”ことが、世の中を変えていく。例えば、私たちが経験したコロナ禍や地震もあるし、誰しも何かの当事者っていう感覚は持っていると思います。自分自身の深い痛みを知る、向き合うことが当事者性を持つことにつながるんじゃないかなと思います」 最後に、社会問題を映画というエンターテインメントで描いたことについて、松林監督は―― 「(性暴力という題材は)今、本当にタイムリーすぎるテーマになってしまいましたけど、映し鏡としては意義があったんじゃないかと思います。救いや希望を持ってほしい、心の傷に深く向き合って自分で自分を救ってあげてほしいというメッセージが届けばいいなと思います」