注目は大谷翔平vsジャッジだけでない「1950年代に元祖地下鉄シリーズ」「21世紀の対戦成績は?」ドジャースvsヤンキースの名門ライバル80年史
ドジャースがLA移転…60~80年代はどうだった?
そしてこの時期に、ドジャースの転換期が訪れる。 1958年、ニューヨーク市内にヤンキース、ドジャース、ジャイアンツと3球団がひしめき、観客動員が難しくなっていた。そこでドジャースは、遠く西海岸のロサンゼルスに移転した。ドジャースはジャイアンツにも移転を促し、ジャイアンツはサンフランシスコに移転した。 西海岸初のメジャー球団となったドジャースとジャイアンツは、他球団よりもはるかに長い移動時間を強いられたが、そんな中で実力を蓄え、1959年にはドジャースがホワイトソックスを4勝2敗で破って2度目の世界一を達成、そして1963年には7年ぶりに、ヤンキースとワールドシリーズで相まみえた。 〈1963年 ドジャース4勝-ヤンキース0勝〉 サンディ・コーファックス、ドン・ドライスデールというドジャースの2大エースがミッキー・マントル、ジョー・ペピトーン、クリート・ボイヤーなどのヤンキース打線を寄せ付けずスイープ。ヤンキースは4試合で4得点に終わった。
「ミスター・オクトーバー」が誕生した年は…
〈1977年 ヤンキース4勝-ドジャース2勝〉 「ミスター・オクトーバー」と呼ばれたヤンキースのレジー・ジャクソンが5本塁打と大爆発、ドジャースものちに巨人に来るレジー・スミスが3本塁打するも及ばなかった。 〈1978年 ヤンキース4勝-ドジャース2勝〉 2年連続の顔合わせになったが、この年もレジー・ジャクソンが2本塁打8打点、打率.391と活躍。ドジャースのデービー・ロープスも3本塁打したが及ばなかった。 〈1981年 ドジャース4勝-ヤンキース2勝〉 ドジャースはスティーブ・ガービーが打率.417、ペドロ・ゲレーロが7打点。ヤンキースはルー・ピネラが打率.438と活躍したが、救援のジョージ・フレイジャーが3敗と、逆転負けを喫した。これがワールドシリーズでの最後の対戦となった。 ワールドシリーズでは11回対戦して、ヤンキースが8回優勝、ドジャースは3回。ヤンキース37勝、ドジャースは29勝だった。
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