注目は大谷翔平vsジャッジだけでない「1950年代に元祖地下鉄シリーズ」「21世紀の対戦成績は?」ドジャースvsヤンキースの名門ライバル80年史
初のWS対決は太平洋戦争が始まった1941年だった
しかし1941年、ドジャースが20年ぶりに優勝してヤンキースと初対戦して以降、ドジャース対ヤンキースのワールドシリーズは、MLB屈指のビッグカードになる。計11回のワールドシリーズ成績を見ていこう。 〈1941年 ヤンキース4勝-ドジャース1勝〉 太平洋戦争が始まった年。ジョー・ディマジオ、ビル・ディッキーというスター選手を擁するヤンキースが、ピー・ウィー・リース、ジョー・メドウィックらのドジャースを破る。 〈1947年 ヤンキース4勝-ドジャース3勝〉 強打の捕手ヨギ・ベラ、ディマジオのヤンキースに対し、ドジャースはこの年デビューした黒人初のメジャーリーガーと称された(※MLBでは現在、ニグロリーグも「メジャーリーグ」と認定しているので、この表記はかつての表現になっている)ジャッキー・ロビンソン、リースが主軸。最終戦にもつれ込むがヤンキースが制した。 〈1949年 ヤンキース4勝-ドジャース1勝〉 ベラ、ディマジオにフィル・リズートのヤンキースに対して、ドジャースはロビンソン、リース、ギル・ホッジスに加え、デューク・スナイダーも在籍したが、1勝するのが精いっぱい。ヤンキースのジョー・ページが3勝を挙げる。ただ5試合中3試合が1点差ゲームだった。
地下鉄シリーズ時代はヤ軍27勝、ド軍は…
〈1952年 ヤンキース4勝-ドジャース3勝〉 ディマジオは引退するもヤンキースはミッキー・マントル、ビリー・マーティンらが台頭。ドジャースはロイ・キャンパネラ、スナイダー、ロビンソンを擁したが、またファイナルゲームで敗れた。 〈1953年 ヤンキース4勝-ドジャース2勝〉 ヤンキースはエースのホワイティ・フォードが不振だったがハンク・バウアー、ベラ、マントルらの打線でキャンパネラ、スナイダー、ロビンソンのドジャースに打ち勝った。 ここまでドジャースは、ヤンキースと5回対戦して全敗。1950年代のヤンキースは「くたばれヤンキース」というミュージカルができるくらい強かったのだ。しかし、ついにドジャースが一矢報いるときがくる。 〈1955年 ドジャース4勝-ヤンキース3勝〉 ヤンキースはエースのホワイティ・フォードが2勝したが、ドジャースは中軸のスナイダーが4本塁打する大活躍で、最終戦は先発ジョニー・ポドレスが2-0の完封勝利。ドジャースは球団創設以来初の世界一に輝いた。ウォルター・オルストン監督は就任2年目で悲願を達成した。 〈1956年 ヤンキース4勝-ドジャース3勝〉 しかし翌年、ヤンキースのドン・ラーセンは第5戦で、長いMLBの歴史でも唯一の「ワールドシリーズでの完全試合」を達成。ドジャースはドン・ドライスデールやドン・ニューカムなどの好投手を擁したが、またも最終戦で涙を飲んだ。 1940~50年代、ドジャースとヤンキースは実に7回もワールドシリーズで対戦。このカードは「サブウェーシリーズ(地下鉄シリーズ)」として大人気となった。ドジャースは善戦するも1回しかワールドチャンピオンになれず。通算成績はヤンキース27勝、ドジャース17勝だった。
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