田内学氏「中卒そば屋の父から東大に行けと言われ」…ゴールドマンサックスを41歳で「本の執筆のため退職」の真意
えっ? 本を出す=会社を辞める=修行? 田内さん的には「当然の判断」だった。 「僕は0.1%の確率があったら行動します。1000人中1位を取れって言われたら『無理』って思いますよね。 でも、人生は選択の連続。AかBの2択を10回繰り返せば、1024通りの未来があります」 「佐渡島さんに会うという選択をした。そのうえで1000分の1でも安倍さんに会える可能性があるなら、次に自分が選択すべきは本を書くための修行だ、と」 佐渡島さんの下、手はじめに高校の社会科「公共」の教科書の執筆に携わった。 「教科書会社との打ち合わせのときに同席したら、佐渡島さんが『ここにいる田内と自分が書く』って言うんです。自分が書くとは思っていなかったので驚きました」 ■往復1時間もらえる 佐渡島さんは夜を日に継ぐスケジュールで動いている。当然、田内さんの面倒を見る時間はほとんどなかった。そこで、田内さんが考えたのは「運転手になる」こと。 「佐渡島さんが言うには、文章を書くうえで抽象的な概念を具体に落とし込む作業が大事だ、と。 『そのあたり漫画家が上手だから』と、『ドラゴン桜』の編集会議に毎週、僕も行くことになりました。当初はそれぞれ打ち合わせ場所に行っていましたが、そこでひらめいたんです。 『自分が佐渡島さんの運転手になれば行き帰りの往復1時間、時間がもらえる』と」 最初の単独著書はダイヤモンド社から出した『お金のむこうに人がいる』。ゴールドマン・サックスを去って2年後だった。 初の著作を世に出して3カ月後の2021年12月。クリスマスイブ直前の12月23日に、自民党の西田昌司さんから田内さんに連絡が入る。 『党に財政政策検討本部を立ち上げ、西田さんが本部長、安倍さんが最高顧問で勉強会をやるから講演をしてほしい」という依頼だった。 見事、田内さんは安倍首相(当時)などの多くの政治家に会い、財政問題や年金問題などの「本質」について伝える機会に恵まれたのである。