田内学氏「中卒そば屋の父から東大に行けと言われ」…ゴールドマンサックスを41歳で「本の執筆のため退職」の真意
マネー記事をつくる我々にとって耳の痛い話もいただいた。 「X年後に日経平均株価がY円になるって株価予想をする人たちがいますよね。あれ、僕は好きじゃないんです」 田内さんのストレートパンチ。 「だって未来って変えられるじゃないですか。 たとえ正確な天気予報を知ったところで、僕らは明日の雨を晴れに変えることはできません。せいぜい傘を持って出かける程度でしょう。 でも、経済って僕らの努力次第で変えられるんです。日経平均を当てるんじゃなく、株価を上げるにはどうすればいいかをメインに据えるべきでは?」 ■父の「東大命令」 田内さんは難関の灘中学・高校を経て東京大学工学部、同大学院で学んだ。世間一般に言う「とっても頭のいい人」である。 こういう人に「勉強は好きでしたか?」と聞くと「人並みに勉強をしていたら点が取れた」「親から勉強しろとうるさく言われなかった」といった答えが返ってきがちなのだが、田内さんは違った。 「勉強が好きになるよう父に洗脳されていました(笑)」 田内さんの父は中学を卒業したあと、そば店を経営して一家を養っていた。 「日本は学歴がないと大変だ。自分の代では逆転できないからお前に託した。東大に行け」 田内さんの父も直球ストレートである。 「小学2年生のとき、野球クラブに入ろうとしたら父から止められました。『お前は将来そば屋で働きたいのか』って。違うなら東大に行くために勉強しろって」 そば店を卑下するわけでは決してなく、とにかく「東大」にこだわっていた。 その後、田内さんの父は店を閉め、自宅兼店舗を手放した。田内さんが小学4年生の3学期のことで、茨城県に住んでいた。 「そのとき、父親はなんて言ったと思います? チャンスだ! どこでも引っ越せるから、神戸にしよう。東大合格率が高いのは灘高だから、近くに引っ越すぞ、って」 小学5~6年生のときは当地の「エリート塾」に通った。