城福主将の悲願と「引退」、9年後の「帰還」、ヴェルディ監督就任「誓いの言葉」と10日後の王者との一戦【2025年Jリーグ「台風の目となる」城福ヴェルディ】(2)
現在、オフシーズンのJリーグ。だが、試合のない時間は、新シーズンへの期待が高まる時期でもある。次々と選手や監督の去就が発表される中、サッカージャーナリスト大住良之は、来季のJ1リーグの「台風の目」として、2024年シーズンを6位で終えた、昇格組の東京ヴェルディを挙げる。京都サンガから期限付き移籍中の2人、山田楓喜の海外挑戦(ポルトガル1部CDナシオナル)と木村勇大の完全移籍などチームの新編成や、知られざる城福浩監督の過去まで、この機会に振り返りたい。 ■【画像】「雪の妖精ですかー!!!」日本代表・堂安律の美人妻、白のふわふわコート姿が「ほんとかわいすぎ」パリでハプニングも「相変わらずお美しい」
■選手生命をかけた一戦と「社業専念」
悲願のJSL1部昇格。城福浩はこの一戦に選手生命をかけていた。試合は0-0のまま、後半終盤まで進んだ。同じ午後2時キックオフの試合で、田辺は後半6分までに2-0とリード。無得点引き分けに終わったら、田辺に昇格をさらわれる。両チームとも勝負に出ざるをえない。そして後半38分、ついに、この試合唯一の得点が生まれる。日立はMF星野晋吾からパスを受けたFW荻原悟が倒れながら富士通のゴールにボールを送り込んだのだ。この試合で城福は現役引退を決意する。まだ28歳だった。 それから数年間、城福は社業に専念した。プレーは続けたが、日曜日にしかプレーしない東京の社会人クラブチームだった。城福をサッカーに呼び戻したのは、中国代表の名FWで、1988年から富士通でプレーしていた沈祥福だった。1993年、城福は富士通に指導者として残ることになった沈祥福の下でコーチとなり、1996年には監督に就任した。チームはJリーグの下の全国リーグ、JFLでプレーしていた。しかし、その秋、チームはJリーグ入りを目指してプロ化することを決定、初代監督として元三菱重工監督の斉藤和夫を迎えることになり、城福はふたたび社業に戻った。 大きな変化が訪れたのは、半年後の1997年夏、やはりJリーグ入りを目指す東京ガス(現在のFC東京)強化担当の鈴木徳彦に誘われたことだった。城福は翌1988年に富士通を退職してFC東京の設立準備のために働くとともに、Jリーグ監督ができるS級コーチ資格取得の講習会に参加した。37歳で「サッカーのプロ」となったのである。 FC東京では主として育成の仕事を手掛け、また日本サッカー協会から請われてU-17日本代表の監督も務めた。そして2008年、47歳を迎える年にFC東京の監督に就任した。以後、ヴァンフォーレ甲府、再びFC東京、サンフレッチェ広島で指揮を執り、2022年6月に東京ヴェルディの監督に就任した。
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