繊細な手技を未来へと繋ぐ「うちわの太田屋」
ー創業から現在に至るまでの経緯を教えてください。 祖父の代までは東京の台東区・谷中のあたりで江戸うちわ(江戸時代から実用のためだけでなくアートとしても作られていた江戸を産地とするうちわ)を作っていました。戦後、父が20代の頃に一家で現在の南房総市へ移り住みました。 当時はまだ車のない時代でしたので、自転車で片道1時間以上かけて竹を買いに行き、竹を切ってくれる人を探すことからはじめ、その人に竹切りを教えて山から竹を切り出してもらっていたようです。どんな商売も立ち上げの初代は大変ですよね。 当初は個人で売るのではなく、東京からの問屋さんの注文でうちわを作っていました。そのため、私が親の手伝いをはじめた頃は、地元の方でさえ「千葉県内でうちわ作りをしているところがあるなんて知らなかった」と言う人がほとんどでした。 ー太田さんご自身が家業に入るきっかけは何だったのでしょうか。 私は三人姉妹の3番目で、私たちは全員、父からは「跡は継がなくていい。おまえたちは好きなことをやれ」と言われて育ちました。私が20代で子育てをしていた時期に「娘の手が離れるまでうちわ作りを手伝おうかな」と思い、手伝いはじめたことがきっかけです。 父は普段、生活習慣に厳しい人でした。ご飯を食べるときは正座をしなければいけない、自分で食べきれないものには箸をつけない、とかね。ただ、仕事に関しては父に叱られたことがないんですよ。だからうちわ作りが嫌にならなかったのだと思います。 父が亡くなって今思い返すと、私は期待されていなかったから怒られなかったのでしょう。だから、今、うちわ作りの体験で子どもたちに教えているときにもよく言うんです、「お父さんやお母さん、先生が怒るのはね、あなたに期待しているからなんだよ」って。 ーそんななか、後を継ぐことを意識されたのはいつ頃ですか。 父の仕事を手伝いはじめてあっという間に10年が過ぎ、千葉県から県指定伝統的工芸品製作者の看板をもらったときですね。そのときに初めて「私が後を継ぐのかな」と思い、これは本気でやらないといけないなと。それまでと気持ちが切り替わりました。 両親の加齢にともない、少しずつ私に仕事の重心がかかってきていたことからも、徐々に後を継ぐことを自覚するようになりました。