繊細な手技を未来へと繋ぐ「うちわの太田屋」
私たちの暮らしに寄り添い、小粋な夏の風物詩として今なお根強い人気を誇る「うちわ」。 明治時代に現在の千葉県の館山・南房総エリアで生産がはじまった「房州うちわ」は、京都の「京うちわ」、香川の「丸亀うちわ」とともに日本三大うちわのひとつとされる。 しなやかな女竹(めだけ)を用いており、持ち手の柄の部分が丸く、半円で格子模様の美しい「窓」が特徴的だ。2003年(平成15年)には千葉県で最初の経済産業大臣指定伝統的工芸品として認定されている。 150年以上にわたりうちわ作りの技術を守り続けているのが、千葉県南房総市にある「うちわの太田屋」だ。今回は4代目である太田美津江さんに、これまでの歩みや房州うちわの製造工程、伝統を繋ぐための取り組みについて伺った。
消費地・江戸から材料の供給地・房州へ職人が移住し一大産地へ
ーはじめに、御社で製造している房州うちわの特徴を教えてください。 持ち手である柄から面の部分まで1本の丸い竹でできている房州うちわは、竹がしなることで生み出されるやわらかな風が特徴です。丸い柄は握りやすく温かみがあり、使えば使うほど味が出てきます。飾って観るだけでも情緒を楽しめると思います。 当工房は曾祖父の代から受け継いだ技術で、昔ながらの和紙を貼ったものから、父が考案した浴衣地、ちりめん地を貼ったもの、最近では切り絵を貼ったうちわも制作しています。自然素材である竹の個性、面に貼るものの柄や材質によって一点一点違うものが出来上がります。 ーそもそもなぜ房州(現在でいう千葉県南部の南房総市と館山市にまたがるエリア)でうちわ作りが広まったのでしょうか。 江戸時代、うちわや傘作りは武士の内職でした。贅沢禁止令によって浮世絵の制作が禁じられたときも、うちわに貼るための浮世絵だけは許可されていました。それを取り上げてしまうと武士が食べていけなくなってしまうからです。 現在の館山市にあたる地域は良質な女竹(太さ1.5cmほどのすらりと細い竹)が採れ、江戸うちわの材料の産地でした。それが関東大震災と戦争によって多くの問屋や職人が房州に移住したことをきっかけに、この地でうちわ作りが広まりました。 お米の収穫が終わった農閑期に農家の方が竹を切り出してくれ、このあたりは古くからの漁師町なので、漁に出られないときや漁師の奥さんたちの手内職として一大産地になっていったそうです。