停戦合意後のレバノンの様子は…首都ベイルートに住む日本人が見た“停戦合意直前の攻撃”とは
■停戦合意直前にベイルートにも猛攻撃 「停戦に入る前にこれでもかと」
――岡島さんが住んでいるエリアは空爆の対象にはならなかった? これまではなかったのですが、停戦が合意されるんじゃないかという報道が出てから、ネタニヤフ首相のテレビ演説までの時間、かなりの空爆、猛攻撃を受けました。私の住んでいるところから約500メートルの地点も空爆するとの予告が出て、このあたりの住民が一斉に逃げ出すということがありました。 幸い私の住んでいるところは被害を受けずにすみましたが、停戦の話が出てから、26日夜から27日の朝まで、自宅にいると、これでもかというくらい、空爆らしき音が何度も聞こえました。26日の午後も、ベイルートの中心部にいたんですが、ものすごい数の爆音を耳にしました。 ――岡島さんも避難された? 避難はしていないです。26日の午後から夜にかけ、避難するところがないくらいたくさんの場所で空爆予告が出ていました。ベイルートは狭い街ですから、26日午後3時か4時ごろ、中心部から自宅に向かおうと思ったら、道は車で混んでいて、街から逃れできるだけ北の方に行こうとか、山の方に行こうとか、そういう人たちの車で交通が麻痺している状態でした。攻撃されている場所も近いわけですから、救急車なども立ち往生していて、かなり街は騒然としている様子が見られました。 ――その当時と比べ、停戦合意が発効された後はどのように変わりましたか? 27日朝は平日にもかかわらず、人々の動き出しが遅い感じがしました。週末のような感じで、午前10時ぐらいまではわりと静かでしたね。26日の段階で、レバノン教育省が、国内の全ての教育機関を臨時休校にするという通達を出したので、学校や全ての教育機関が閉まり、子どもたちが学校に通うということもなかったので、それもあり27日の朝は静かでした。午前10時過ぎに買い物に外に出たんですけれども、このあたりに避難していたしていた人が、車に家財道具を詰め込み、街を離れて住まいのあるところに戻ろうとしているような様子を見かけました。 ――停戦合意という一報を聞いて、どう感じましたか? ぬか喜びできないなというのはありましたね。アメリカから特使が来たりして停戦に向け動いているという話はありましたけど、猛攻撃があり、本当にベイルートの中心部でもかなり予告なしの空爆もありましたから、にわかには信じがたいな、という印象がありました。 ――楽団の方々とは停戦合意について話したりしましたか? まだしていません。どうしてもまだ我々のオーケストラだけではなく、国内中が文化活動をおおっぴらにはできない状況というのが9月から続いているので、28日以降に色々会議をし、これからのことを決めていく形です。