停戦合意後のレバノンの様子は…首都ベイルートに住む日本人が見た“停戦合意直前の攻撃”とは
イスラエルとレバノンの停戦合意が発効し、攻撃の応酬が続いていたイスラエル軍とイスラム教シーア派組織ヒズボラとの戦闘は停止された。停戦を受け、街の様子はどうなっているのか。レバノンの首都ベイルートに住む日本人チューバ奏者・岡島征輝さんにオンラインで聞いた。
■数キロ先が空爆を受けても街には「日常の生活」が
――レバノンに住んでいる経緯について教えていただけますか? レバノン国立フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラに、楽団員として所属しています。今年3月から毎月2、3週間、ベイルートに来ていて、今年9月中旬からレバノンに本格的に移り住みました。 ――移住はイスラエルとヒズボラの戦闘がさらに激化したタイミングですが、大規模な攻撃が始まった後、街の様子はいかがでしたか? レバノンに着いたのは今年9月18日で、数日後にヒズボラのナスララ師のテレビ演説があり、ベイルート南部で空爆が激しくなってきました。9月下旬ごろから、イスラエルとの国境に近いレバノンの南部から、ベイルートに避難してくる人が増えました。9月下旬から10月初旬は、住むところが見つからず、路上で生活しているような人たちがたくさん見受けられました。 ――その後も戦闘は続きましたが、停戦合意まで、街の状況はどのように変わりましたか? 9月下旬から10月初旬はベイルートの南部、市街地から国際空港までのエリアが主に空爆のターゲットでした。それがだんだんと広がっていき、イスラエル軍のアラビア語の報道官が、SNS上で「これからこのエリアを空爆します」「この地図に書かれている人たちは避難してください」という案内を頻繁に出すようになっていきました。 ただ、私が住んでいるベイルートの西部は、それほど空爆の影響を受けなかったので、街は全てが日常通り動いていました。ベイルートは非常に小さな街なのですが、数キロ先が空爆されているのに、何もなかったところは日常の生活が行われていて、不思議な感覚を覚えながら暮らしていました。