「東スポ社員」から、国宝も直す京都の一流美術織物の世界へ 独特の業界用語「全く分からない」、5代目の歩んだ道のり
◆「ものづくり」と「経営」
─「やっていけそうだ」に変わったのは、何かきっかけがあったのでしょうか 入社1年半から2年ぐらい経った頃でしょうか。 なんとか一人で設計書を書いて、試作で織り上がってきたものが形になっているのを目にしたときですね。 やっと、織物ができていくイメージができるようになりました。 その後、物流を学んだり、商品を企画したり。 社内調整的な役割や常務を経て、2019年に社長に就任しました。 父が四代平藏と経営者を兼務していて、「ものづくりに専念したい」となったタイミングでした。 ─最初は、経営の部分だけを任されたのですね。当時のことを教えてください 新型コロナの感染拡大が始まった時期で、業績が上がらず、会社として大胆な改革が必要になっていました。 産業資材部門の売却など、事業を整理した方がいいけれど、長年育ててきた鉄道事業は工場設備もあるし、父は手放す決断ができなかった。 そこで、「自分ではようやらん。社長を交代して舵取り任せるわ」となったようです。 経営を任されることは予想していました。 父はものづくりの好きな元エンジニアで、四代平藏に専念することは自然な流れ。 ものづくりを指揮する人と経営の責任者は別の方がいい、というのが私の持論でもありました。 本当は、10年ほど経営だけをやり、安定したところで平藏を襲名するかどうか選択したかった。 でも、思ったようにはいきませんでした。 父が亡くなってしまったのです。 (取材・記事=小坂綾子)
■プロフィール
株式会社 龍村美術織物 代表取締役社長 龍村 育 氏 1973年、兵庫県生まれ。1996年から2007年まで東京スポーツ新聞社で営業職として働き、父親が社長を務める龍村美術織物に入社。技術部、営業推進部などを経て、2012年に取締役。2016年に常務取締役となり、2019年に代表取締役社長に就任。2024年9月、五代龍村平藏を襲名した。