『極悪女王』の時代は男も女も熱かった! IWGP暴動、タイガーマスクの復帰と2代目、長州全日本etc.1984年のプロレス界を振り返る
9月には、猪木が大相撲・小錦の兄であるアノアロ・アティサノエを相手に5年ぶりの異種格闘技戦を行なうも、起爆剤には至らず。翌日には新日本興行が長州、アニマル浜口、谷津嘉章、小林邦昭、寺西勇を獲得し、後日キラー・カーンも合流した。新日本興行は10月にジャパンプロレスに名称変更、12・4高松で事実上の旗揚げ戦を開催すると、全日本にジャパンの選手を次々と送り込んでいく。 11月には新日本のタッグリーグ戦出場をキャンセルしたばかりのキッド&スミスの外国人タッグが全日本に衝撃の移籍。そのまま「世界最強タッグ決定リーグ戦」にエントリーすると、このシリーズからジャパン軍も本格参戦したばかりか、UWFを離脱したラッシャー木村が馬場を裏切り、剛竜馬、鶴見五郎らと国際血盟軍を結成した。長州の全日本初参戦となった12・12横浜が最強タッグ決勝戦で、鶴田&天龍組がスタン・ハンセン&ブルーザー・ブロディ組を破り、優勝を飾っている。 女子プロでは、この年の全女8・25後楽園、長与&飛鳥組のクラッシュが“ダイナマイト・ギャルズ”ジャンボ堀&大森ゆかり組からWWWA世界タッグ王座を獲得した。前年8月の初挑戦から約1年、3度目の挑戦にしてベルトに到達すると、初挑戦当初から湧き上がっていた期待感が大爆発。『炎の聖書(バイブル)』で歌手デビューもはたすと、その人気はジャンルを超えて老若男女、日本中に波及した。そのライバルとして長与&飛鳥に牙をむいたのがダンプだった。クラッシュと極悪同盟の血で血を洗う抗争は日に日にエスカレートし、翌年の敗者髪切りマッチへと発展する。 こうして84年を振り返ってみると、女子プロばかりか男子の方もすごい時代だったとあらためて感じられるのではなかろうか。男女間ではほとんど接点のなかったプロレスだが、あの頃は、男も女も熱かったのだ。(文中敬称略)
文/新井宏