『極悪女王』の時代は男も女も熱かった! IWGP暴動、タイガーマスクの復帰と2代目、長州全日本etc.1984年のプロレス界を振り返る
新日本のリングでは、猪木の正規軍と長州の維新軍が全面対決。4・19蔵前で5対5勝ち抜き戦が実現し、最後は猪木が長州を破り正規軍の勝利となった。その後、新日本は第2回目となる「IWGP」に突入。決勝戦は2年連続で猪木vsハルク・ホーガンとなり、前年の“舌出し事件”で優勝を逃した猪木の初制覇が期待されていたのだが、リングサイドに長州が現われ試合をぶち壊す暴挙。猪木がリングアウト勝ちで初優勝となったものの、納得いかない観衆の怒りが爆発し、暴動騒ぎとなってしまった。 馬場の全日本ではすでに馬場が第一線を退いており、ジャンボ鶴田と天龍源一郎の鶴龍時代が本格的にスタートする。その号砲となったのが2・23蔵前だった。鶴田がニック・ボックウィンクルとのダブルタイトルマッチでインターナショナルヘビー級王座を防衛するとともに、日本人として初めてAWA世界ヘビー級王座を奪取してみせたのだ。また、来日中に急逝したデビッド・フォン・エリックのUNヘビー級王座を天龍が奪取。全日本に2大エースが誕生する。 鶴龍コンビがリング上のツートップとなった全日本は6月、新日本プロレス興行と提携関係を結んだ。新日本興行とは新日本の大会を手掛ける興行会社だったのだが、新日本を退社した大塚直樹が全日本8・26田園コロシアムを手掛けたことから馬場と急接近。新日本興行は新日本からの選手引き抜きを宣言し、やがて新日本興行所属選手が対抗団体の全日本に参戦するようになる。その田コロでは、2代目タイガーマスクがデビュー戦。新日本で大ブームを起こしたキャラクターが全日本に登場するという衝撃の出来事も、全日本と新日本興行との関係からだった。 81年から83年にかけて空前のブームを作り上げた本家の初代タイガーも、プロレス活動を再開させた。UWF7・23&24後楽園での「無限大記念日」に、ザ・タイガーの新リングネームで参戦したのだ。これが354日ぶりの試合で、8月には山崎一夫とともにUWFに入団。元・新日本の藤原、髙田延彦らと合流し、四次元殺法を事実上封印。格闘スタイルを前面に押し出し、スーパー・タイガーとして闘っていく。 UWFや新日本興行の設立で多くの選手を失った新日本に、正体不明のマスクマンが出現した。8・24後楽園にストロング・マシンを名乗るマスクマンが元・国際プロレスの若松市政をマネジャーにリングジャックを敢行。その後マシンは増殖し、マシン軍団が結成された。