「喜びよりも不安に襲われた」不妊治療経て妊娠も逆子で帝王切開…タレント浜口順子の半生で積み上げた「経験の貯金」
約3年間の不妊治療を経て、38歳で第一子を出産したタレントの浜口順子さん。3回目の体外受精で妊娠が判明したとき、「喜びよりも不安に襲われた」と話す浜口さんに、妊娠と出産までのエピソードをお聞きしました。(全4回中の4回) 【写真】「雰囲気変わりました?」三重に移住し1児の母として暮らす現在の浜口順子さん ほか(全18枚)
■夫の言葉をきっかけに35歳で妊活をスタート ── 31歳で結婚されて、35歳から妊活をスタートされたそうですね。 浜口さん:そうなんです。子どもはいつかほしいと考えていましたが、「仕事もしたいしまだいいかな」と先送りにしていました。母が37歳で私を産んでいたこともあり「まだふたりの生活でいいや」と余裕を決め込んでいたんです。
35歳になったとき、夫から「そろそろ子どものことを考えよう」と言われました。その後、病院でブライダルチェックを受け、婦人科の指導のもと、妊活をスタート。しかし、1年間授からず、不妊治療に特化した病院に転院することを決めました。 ── どのような治療を行ったのですか? 浜口さん:さまざまな検査を受け、2回の体外受精にトライしましたが妊娠には至らず…。実績のあるクリニックに通っていたこともあり、「ここでダメなら、もう妊娠できないのでは」と自暴自棄になってしまいました。
■三重県に移住後、最初の体外受精で「妊娠判定」を受けて ── ちょうどそのころ、三重県への移住が決まったんですよね。 浜口さん:そうです。三重県に引っ越してからは、少しの間、治療を休むことにしました。「何も考えず、好きなことをして三重を満喫しよう」と考えたんです。 半年後、「そろそろやるか」と重い腰を上げて治療を再開。以前通っていたクリニックの先生から「治療法を変えてみては?」とアドバイスを受けていたことから、これまでとは違うアプローチで卵巣刺激法での体外受精を、名古屋のクリニックで受けることにしました。
しかし、体外受精を受けた後も、体調面での変化が表れず…。「妊娠すると何らかのマイナートラブルが出てくる」と思い込んでいた私は、「今回もダメなんだ」と落ち込みました。妊娠しているかどうかがわかる「判定日」が近づくにつれ、私はナーバスになり、夫の前で号泣。頑張って治療に取り組んだにもかかわらず、先生から「ダメでした」と聞かされたときの気持ちといったら…。まるで「不合格」を突きつけられたような気分。東京のクリニックで、それを2度経験していた私は、結果を聞くのが怖くて仕方がなく、夫に「代わりに聞いてきて」と泣きながら頼み込んだほどでした。