「ラジオの力、信じている」 来年で放送100年、ノイズの郷愁も迫られるFMへの転換 AMノスタルジー①「世紀」
ラジオ放送が大正14(1925)年に日本国内で始まってから、来年で100年の節目を迎える。戦前の民主主義が花開いた時期から、戦時放送、深夜番組の隆盛、インターネット利用などラジオはさまざまな形でリスナーと歩んできた。そして当初からのAM放送が、民放ではFM放送に転換することが決まっている。ダイヤルを回してノイズの狭間に放送を見つけたAMへのノスタルジーを込めながら、ラジオの歩んだ道のりを振り返っていきたい。 【イラストで解説】AMとFM、何が違う? ■もう一つの「現場」 「間もなくCM明けます」 スタジオの出演者と目を合わせ、ディレクターが隣室から短く指示を出す。並んで座るミキサーが、出演者のマイクの音量を細かく調整している。10月7日午後3時半、東京都港区の文化放送本社。全員の注目を集めるように、ディレクターが手で合図する。 「どうぞ!」 「東京浜松町、文化放送のスタジオから、生放送。『長野智子アップデート!』」。パーソナリティーの長野さんが、マイクに向かって明るく語りだした。 このスタジオから約18キロ離れた埼玉県川口市に、ラジオのもう一つの「現場」がある。垂直にそびえる高さ130メートルのアンテナが遠くからも目立つ、文化放送川口送信所だ。敷地は5万5千平方メートル。 東京ドームを上回る広大な敷地と見上げる巨大なアンテナは、放送開始1世紀を迎えようとしているAMラジオの象徴でもある。 ■電気代だけで10倍超 「ラジオほどリスナーに寄り添えるメディアは、ほかにないと思う」。ニッポン放送の中村潤執行役員技術局長はそう語る。 若者が同局の「オールナイトニッポン」に耳を傾ける。年配者がNHKの「ラジオ深夜便」を楽しむ。ドライブの友として、なじみのパーソナリティーの声が車内に流れる。運転しながら野球中継を楽しめるのも、ラジオの独壇場だ。 今年元日の能登半島地震では、多くの番組が「あなたの身の回りの状況を教えて」「自由にメールを送って」と被災地のリスナーに呼びかけた。避難所へのラジオ配布も行われた。AMだと、電池が要らない鉱石ラジオも自作できる。 しかし、AMは大きな転機を迎えている。