Drift on the WILDSIDE -全天候型放浪記- リバー・ランズ・トゥ・ザ・ノース
北国の夏が爆発していた。その輝きに目が眩んだ。
原始の川で極太のアメマスに逢う。 美深で千葉さんと別れると、僕とジュンヤ君はさらに天塩川を北へと下り、中川町に住む野中豪君に会いに行った。彼ともいっしょに釣りをする約束をしていたのだ。 じつをいうと、僕とゴウ君はたった4日前に知り合ったばかりだった。名寄に来る前に立ち寄ったススキノの飲み屋で、たまたま隣席に居合わせたのだ。 ゴウ君は29歳の若者で、4年前に東京から北海道に移住し、いまはフィッシングガイドとして生計を立てている。よくよく話を聞いてみると名寄のジュンヤ君とは釣り仲間で、今回のカメラマンのニキータとは東京のパタゴニアストアで働いていたころの同僚だということがわかった。僕らはなにか運命的な縁を感じ、「だったらいっしょに釣りをしよう! 」という約束をかわしていたのである。 天塩川本流は大雨の影響で濁りが酷かったので、ゴウ君は僕を支流の沢に案内してくれた。 「ここは僕のとっておきのポイント〞のひとつで、でっかいアメマスさんがうようよ棲んでるんですよ」。 そう教えてくれた川は山奥の奥の奥の奥のそのまた奥にあり、原始の森と野生動物の匂いがプンプンした。それは文明から完全に隔離されたエリアだった。 「ほら、あそこにいますよ……」。 渓流を見下ろす崖の上でゴウ君が僕に耳打ちした。見ると透きとおった淵に巨大な魚影が見えた。デカい……。この距離から見ても、まるで大根のようだった。 「今日はウェットフライ(水中に沈めるタイプのフライ)を使います。まずは僕が見本を見せますのでやり方をよく見てて下さい」。 そういうと例の淵に向かってヒュンとフライを投げ込んだ。次の瞬間、大きなアタリがあり、ロッドが満月のようにしなった。 「マジかよ……」。 あっけにとられている僕の前でゴウ君はスルスルと魚を寄せ、そのままネットインさせた。覗き込んでみるとそれは40cmをゆうに超える大きなアメマスだった。丸々と太った胴体はヌルヌルと茶褐色に輝き、その上に大きな白い斑点が光っていた。全身に野性を漲らせたその姿を見て、僕は思わず武者震いしてしまった。 「この淵にはまだまだこんなのがたくさんいますから、どんどん釣っちゃって下さい」。 ゴウ君はニコニコ笑ってロッドを僕に渡してくれた。まるで会社帰りに釣り堀にでも来たような気楽な口調だ。 ところがどっこい、まったく釣れない。全然釣れない。というか、それは釣り以前の問題だった。うまくフライが飛ばせないのだ。極太のアメマスがすぐそこにいるというのに、僕はその鼻先にフライを落とすことができない。 「大丈夫ですよ。あせらずに繰り返しましょう」。 障壁はインジケーター(ウキ)の存在だった。ウェットフライは水中に沈めるのでアタリを取りやすいように目印を付けるのだが、これがあるためにキャスト時にラインがギクシャクしてしまい、キレイな円弧を描けないのだ。 「フライを投げるんじゃなく、ロッドを曲げるイメージで! 」「振るではなく、止める! 」「そこからポーンと押してあげましょう! 」。ゴウ君が付きっきりで指導してくれるが、ぜんぜん上手くいかない。1時間以上が経過し、自己嫌悪に苛まれ、もういいかげん諦めかけたころ、インジケーターがズボッと水中に飲み込まれた。 反射的に合わせると、猛烈な勢いでロッドがしなった。これまで経験したことのない引きだった。手首がビクビクと震え、脳内にアドレナリンが吹き出す。 「落ち着いて寄せましょう! 」。 そう声をかけてくれたゴウ君の声も震えていた。そして長く息詰まる格闘のうえ、魚は無事にネットインした。 「うおおおおお~! 」釣り上げたのは50cmもある極太のアメマスだった。たぶん崖の上から見えた大根のうちの1本だ。 僕はその巨体を両手に乗せてみた。それはずっしりと重く、先日釣り上げたエゾイワナとはまた違う感触があった。 じつはアメマスとエゾイワナは同じ魚で、降海型をアメマス、陸封型をエゾイワナと呼ぶ。つまり「海に降りたことがあるかどうか」の違いだけだ。この川から天塩川河口まではダムも堰堤もまったくない。だからここの魚たちはサケと同じように雪解け水に乗って川を下り、海に出てそこで大きく育ち、その後産卵のために遡上してこの渓谷に帰ってくるのだ。 その長い長い生涯を思うと胸が熱くなる。掌に感じる重みは彼らの生涯と生命の重みなのだ……。 写真を撮ってリリースすると、アメマスはスルリと僕の掌を抜け、瀬に潜って見えなくなった。僕はしばらくそこに立ったまま川の流れを眺めていた。