「ずっと後ろめたかった…」生活保護家庭で育った20代男性が感じてきた“体験格差”
「体験の少ない子ども時代」は、本人にとってどんな意味を持つのか
子ども時代のあらゆる「体験」は、その後の成長に多大な影響を及ぼします。でも、環境や家庭の収入の問題などといった様々な理由で「体験」の機会が得られない子どもたちは、どうなってしまうのか…。そんな「体験格差」にいま注目が集まっています。 【あわせて読みたい】「なんで? お金ないの?」友達に言われた衝撃の一言…母子家庭の子どもが直面する“体験格差”のリアル そこで今回は今井悠介さんの著書『体験格差』から“体験の少ない子ども時代の意味”というトピックスをご紹介。 経済的な理由などで、さまざまな体験をする機会に恵まれなかった子ども時代を過ごした松本瑛斗さん。彼に話を聞き、体験格差が子どもに与える影響を深く探ります。
体験の少ない子ども時代の意味
これまで小学生の子どもを育てる9人の保護者たちとの会話を紹介しながら、一つひとつの家族、親子の中で現れる体験格差の具体的な姿を見てきた。しかし、それはあくまで大人の目線から見えることを、聞き取ったものだ。 では子ども自身の目から見たとき、体験格差の問題はどのように映っているのだろうか。私たちチャンス・フォー・チルドレンがかつて教育費の支援にあたった松本瑛斗さん(当時高校生、現在20代)に、子ども時代を振り返りながら話を聞かせていただいた。松本さんの両親は彼が小学校に入る前に離婚し、その後は今にいたるまで祖母、母、弟、妹と公営住宅での5人暮らしが続いている。
子どもの頃は買えなかったピアノ
―両親が離婚されてからはお母さんが家計を支えてこられたんですか。 母も最初は働いていました。でも、一人で子ども3人を育てる大変さもあって、精神障害のほうで働けなくなってしまったんですね。その頃に祖母も一緒に暮らし始めました。 祖母はずっと看護師をしていて、祖母の貯金でやりくりしていた時期もあったんですけど、その貯金も尽きてしまって。自分が中2になるぐらいまでは粘っていましたけど、その頃からは生活保護を利用するようになりました。 祖母は早めに脳梗塞をやって、今はがっつり介護が必要な状態です。一人ではいられないので、誰かが一緒にいないといけません。 ―生活保護を利用し始めたことは、中2だった頃の松本さんご自身も知っていましたか。 僕はわかってましたね。弟と妹はまだ知らなかったと思います。人の税金で生活させてもらっているという後ろめたい気持ちがずっとありました。公営住宅に住んでいることについても、目に見える格差というか、子どものときから感じていましたね。 保護を受ける前はまだ車があったので、近くの牧場に行ったりしました。うちの母はそういうのはいっぱいやってくれたかな。大きなのは無理だけど、入場料が500円の小さい音楽のリサイタルとか、絵画展とか、昔はよく連れてってくれたなって。 ―生活保護を利用して、車が持てなくなってしまったんですね。 だから、全然変わりますよね。保護を受けている間は遠出も何もなくなって。あとは、やっぱり母が病気になったということもありましたし。 ―お小遣いとか、自分が自由にできるお金はありましたか。 ゼロです。お年玉もゼロ。クリスマスとか誕生日とか、基本何もなかったです。どこにも行かないし、何かをもらったりとか、ねだったりとかも全然なかった。お小遣い、いいですよね、もらえるのって。 ……進学、部活動も思い通りにいかなかったという。当時の思い、そして今の松本さんの状況とは――。
〈著者プロフィール〉今井 悠介
公益社団法人チャンス・フォー・チルドレン代表理事。1986年生まれ。兵庫県出身。小学生のときに阪神・淡路大震災を経験。学生時代、NPO法人ブレーンヒューマニティーで不登校の子どもの支援や体験活動に携わる。公文教育研究会を経て、東日本大震災を契機に2011年チャンス・フォー・チルドレン設立。6000人以上の生活困窮家庭の子どもの学びを支援。2021年より体験格差解消を目指し「子どもの体験奨学金事業」を立ち上げ、全国展開。本書が初の単著となる。  
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