ベンチャー社長の時よりも幸福に生きている…がんと5回闘い、打ち勝った53歳が行き着いた"本当の幸せ"
がん患者は、心身ともに大きなストレスに晒される。起業家の高山知朗さんは、2011~2024年の間に脳腫瘍、悪性リンパ腫、急性骨髄性白血病、大腸がん、そして肺がんと5度がんを発症した。どうやって闘病生活を乗り越えたのか。著書『5度のがんを生き延びる技術 がん闘病はメンタルが9割』(幻冬舎)より、人生観の変化について紹介する――。 【画像】ベンチャー企業の経営者だったころの高山さん ■日常が突然、崩れ去る「がん告知」 「がん」という病名を告げられたその瞬間、誰もが大きなショックを受けます。 日本人の2人に1人ががんになるとか、がんは治る病気になってきているという知識は、告知のショックの前ではあまり意味をなしません。これまでずっと遠くにあると思っていた「死」が、突然目の前に現れ、「自分はもうすぐ死ぬのかもしれない」という恐怖に頭の中が支配されるのです。 私はこの経験をしたことで、病気を乗り越えた今でも、いざというときに備えて心のどこかで準備をしているようなところがあります。人生いつ何が起こるか分からない、と。 別に再発の恐怖に怯えて毎日びくびくしながら暮らしているというわけではありません。それでも何かの折に、がん告知の場面を思い出すことがあります。当たり前の日常が突然崩れ落ちるあの瞬間が脳内に蘇ります。 そうすると、「目の前の日常は、決して当たり前ではないんだ。さまざまな巡り合わせの結果、奇跡的に与えられた、かけがえのない一日なんだ」ということを改めて思い出します。そして「今日も悔いのないように生きよう」と思うのです。 おかげで、がんになる前よりも、毎日を幸福に生きられるようになったと感じています。
■自分の人生は「無限」だと思っていた 若いころは、自分はなんとなく80歳過ぎの平均寿命くらいまでは生きるんだろうと、深く考えることもなく思っていました。そのころの自分にとって80歳というのは、遠くに霞んでほとんど見えないような年齢です。永遠のそのまた先のようなものです。 それはつまり、自分の人生には無限に時間があるのだと思っていたようなものです。 もちろん、人は誰でも死ぬし、永遠の命などないということは頭では分かっていました。しかし、具体的なイメージとして、自分が死ぬということを想像するのは難しいものです。家族の死に何度も直面しても、自分自身の死を意識することはありませんでした。 がんを経験すると、それが一変します。突然、自分の人生には残り数年しかないかもしれないと宣告されるのです。そこで、自分の人生の残り時間には限りがあるという現実に気づきます。 明日が来るのは当たり前ではないと気づき、人生の残り時間を意識するようになります。 誕生日のお祝いや、旅行などの楽しいイベントも、死ぬまでにあと何回経験できるだろうと考えます。 すると、一日一日が本当に大切なものになります。 人生が有限だと気づくと、残りの人生をより大切に生きていくことになるのです。 ■墓石を押し返しながら生きている日々 1回目のがんである脳腫瘍を告知されたとき、「自分はあと2~3年で死ぬかもしれない」と思いました。そのときから頭の中に、自分の墓石のイメージが現れるようになりました。それは、硬く黒光りするイメージとして、自分の身に迫っていました。 その後、脳腫瘍の摘出手術が成功して、墓石を向こうに押し返しました。 しかし2年後、2回目のがんである悪性リンパ腫が見つかって、また墓石が自分の目の前に近寄ってきました。 でも抗がん剤治療を受け、寛解となったことで、また墓石を大きく押し返しました。全力で押し返しはしたものの、その代償として、体には大きなダメージが残りました。 4年後には3回目のがんである急性骨髄性白血病となり、また墓石が大きく近づいてきました。 臍帯血移植を受けて、何度か墓石に押しつぶされそうになりながら、文字通り必死で押し戻しました。