ベンチャー社長の時よりも幸福に生きている…がんと5回闘い、打ち勝った53歳が行き着いた"本当の幸せ"
■当たり前の日常の価値を忘れたくない 移植日の4月14日は、移植患者にとっては第2の誕生日。臍帯血の入った太いシリンジを持った担当医MY先生の手元を思い出し、臍帯血ドナーさんに感謝します。近畿地方で生まれた当時1歳のA型の女の子の臍帯血をいただいたことで、私は生き延びることができました。その女の子とお母さんへの感謝の気持ちで、毎年この日は西に向かって頭を下げます。 こうして振り返る機会があると、お世話になった医師や看護師さん、ドナーさんをはじめとするみなさんへの感謝の気持ちが蘇るとともに、今の当たり前の日常が、どんなに貴重でかけがえのないものかを改めて実感できます。 人間は忘れていく生き物です。あんなに辛かった経験も、時が経つにつれ、その記憶は少しずつ鮮明さを失い、ぼやけたものになっていきます。そして今の生活を、当たり前だと誤解して過ごしてしまいます。 でも、記念日をお祝いすることで、辛かった経験を思い出すとともに、その辛い経験を乗り越えたからこそ、当たり前のように見える今があることを再確認できます。 だから、こうした記念日は私にとって、今の幸せを実感できる貴重な機会となっているのです。 ---------- 高山 知朗(たかやま・のりあき) 起業家、元がん患者 1971年、長野県伊那市生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)、Web関連ベンチャーを経て、2001年に30歳でITベンチャー企業の株式会社オーシャンブリッジを設立。11年、40歳で脳腫瘍(グリオーマ)を発症して手術を受け、腫瘍は全摘出されたものの視覚障害が残る。13年には悪性リンパ腫を発症し、約7カ月間の入院で抗がん剤治療を受け寛解に至るが、体力面の不安から17年会社をM&Aで売却。その直後に急性骨髄性白血病を発症し、臍帯血移植を受けて約8カ月の闘病の末に寛解に至る。20年には大腸がん(直腸がん)、24年には肺がんを告知されて手術を受ける。53歳の現在は、3カ月ごとに検査のため通院しながら、妻と娘とともに自宅で元気に暮らす。5度のがん闘病の記録をつづった「オーシャンブリッジ高山のブログ」は、がん患者とその家族から「勇気が湧いた」「希望の光が見えた」「冷静で客観的な文章で分かりやすい」と絶大な人気を誇る。著書に最新刊『5度のがんを生き延びる技術』や、『治るという前提でがんになった 情報戦でがんに克つ』(ともに幻冬舎)がある。 ----------
起業家、元がん患者 高山 知朗