『いつか死ぬなら絵を売ってから』ぱらり著 評者:トミヤマユキコ【このマンガもすごい!】
評者:トミヤマユキコ(マンガ研究者)
わたしはふだん美大で働いているのだが、出版畑の人間なので、いわゆるアートのマーケットやシステムについてはよく知らない。学生の描いた日本画を気に入り購入したときも、某教授からこの絵がこの値段なのはかなり格安である、という説明を受けたものの、そもそも相場がわからないから、ぼんやり顔で「そうなんですか」と言うことしかできなかった。なんか情弱。 しかし、アートに関して情弱なのは、わたしだけではないはず。美術館で絵画を鑑賞することは好きでも、作品を購入したり、コレクションしたり、といった世界にはまるで縁がない人の方が多いはずだ。 『いつか死ぬなら絵を売ってから』は、アート作品がいかにしてマーケットに発見され、評価を得て、その価値を上げていくかについての物語、つまりアート×お金のマネーゲームを描いた作品だ。 主人公の霧生一希(きりゅうかずき)は、幼少期を児童養護施設で過ごした20歳の青年。いまはネットカフェで寝泊まりしながら清掃の仕事をしてどうにか食いつないでいる。そんな彼は、印象的な光景に出会うと、それを小さなクロッキー帳に黒ペンで描く。本人曰く「俺は描かずにはいられない」のだという。しかしながら、完成した作品はすぐに捨ててしまう。描くことがどんなに好きで大事でも、ネカフェ暮らしだから、荷物を増やせないのである。 ある日、一希の清掃していたビルのオーナーである嵐山透(とおる)が彼の絵にひと目ぼれし、いきなり現金で買い取ろうとする。コマを見る限り、手渡しているのは6~7万円といったところで、これが「ひとまず」支払う分だというのだから、一希じゃなくても驚くだろう。素人のクロッキー帳をそんな高値で買うなんて。これまで他人の甘い言葉や儲け話には耳を貸さず、ひたすら地道に生きてきた一希は、「バカにすんな/何様のつもりだよ」と怒るのだった。そりゃそうだ。透の行動は、なんだかとっても怪しいもの。 しかし、透の生きるアートの世界では、これは全然おかしな行動ではないのだった。彼らにとって、新人を発掘し、制作環境を整えてやり、価値が上がるよう業界内の情報をコントロールするのは、ごく当たり前のことだ。何も知らない一希(と読者)は、透が教えてくれる業界のイロハを少しずつ学んでいくことになる(ギャラリーで展示するとアーティストの取り分って結構少ないんだなあ、とか)。 お金が絡むがゆえの俗っぽさと、アートを愛し、アーティストの才能や己の審美眼を信じて突き進むストイックさがページから立ちのぼってきて、グイグイ先を読ませる。富裕層向けの商売ではあるが、全然優雅なんかじゃない。むしろすごい過酷! バディとなった一希と透は、アート界の魑魅魍魎(ちみもうりょう)にやられてしまうことなく、成功を掴むことができるのか。ドキドキ&ハラハラしながらも、わたしが学生から買ったあの絵が将来すごいことになったらどうしよう、と妙な山っ気も出てきているところだ。 (『中央公論』2024年9月号より) ◆トミヤマユキコ マンガ研究者