鹿島がサポーター反発のヴァイラー前監督“電撃解任”理由を詳しく説明…補強などを巡るフロントとの“ズレ”が拡大
鈴木氏に誘われる形で2011年2月に大分トリニータから移って以来、二人三脚で歩んできた吉岡氏も鹿島で受け継がれてきたチームマネジメントを踏襲した。 しかし、オンラインによる面談をへて5人の候補者から絞り込み、今シーズンから招へいしたスイス出身のヴァイラー前監督は、リーグ優勝を果たしたアンデルレヒト(ベルギー)時代を含めて、指導者として異なるバックボーンを持っていた。 「レネさんはヨーロッパではGMのような、全権のような形でチームを指揮してきて、いろいろなことに対して自分の考えがある程度通るような環境だった」 こう振り返った吉岡氏は、当然ながら正式契約を前にして鹿島独自のチームマネジメントを伝えた。しかし、時間の経過とともに“ずれ”が目立ち始めた。 象徴的だったのが、公式戦を翌日に控えた練習となる。 従来の鹿島は所属する選手全員で練習に臨んでいた。対照的にヴァイラー前監督は、ベンチ入りさせる18人のみで実施し、他の選手たちには個別練習を課した。 「メンバー外の選手が個別練習をすると、チームの一体感を醸成していくことが難しくなる。そこは私から『みんなでやっていこう』と言い、レネさんも同意してくれて元々の鹿島のやり方に戻したことはある。個別の案件を言い出すときりがないが、チームを構築していく上でのマネジメントの落としどころが最後は見つけづらくなった」 こう振り返った吉岡氏は、補強戦略の進め方に関してもフロントとヴァイラー前監督との間で考え方の相違があったと明かした。 「私たちが考えるいい選手の評価基準と、レネさんが考える評価基準とに相違があったのは事実。基本的に監督が求める選手を取ろうというのはあるが、予算や鹿島に合う選手なのかどうかをいろいろな側面からリサーチするなかで、クラブから提案した選手もいる。レネさんとすり合わせをしていくなかで、少し基準が違うというのはお互いに認識していた。補強だけでなく、現有戦力に対する評価基準の違いも当然あった」 生じた“ずれ”そのものは小さかったかもしれないが、積み重なっていけば実際に戦っているチームにも決して無視できない影響をおよぼす。一時は首位に立つなど好調だった鹿島は、7月以降は1勝3分け2敗と急ブレーキがかかった。 「現場に関わるコーチングスタッフや選手たちが苦しんでいるのを、私もチームのそばで見ながら感じていた。なので引っ張るよりもお互いに話した上で、そういう結論を出した方がいいと決めた」