波紋を広げた石破首相の外交・安保構想、米国からは冷ややかな視線 立憲はトラウマ背に現実路線
ライバル、立憲はトラウマ背に現実路線
「日米同盟を基軸とした安定した外交・安全保障政策を進める」。政権交代を掲げ、自民の最大のライバルとなる立憲民主党は衆院選公約でこう明記した。日米地位協定の改定などは訴えるものの、政策の根幹は自民政権から引き継いだうえで発展させようとする姿勢が鮮明だ。野田佳彦代表も「空白をつくらないため、一挙に180度転換するようなことはできない」と訴える。 自民党政権の「継承」も視野に入れる背景には、緊迫化する国際情勢に加え、かつて政権を担った際の「トラウマ」がある。立憲の源流とも言える民主党政権(2009~12年)で外交・安全保障政策は大きく混乱。政権交代時の鳩山由紀夫首相は「東アジア共同体構想」を打ち出し、アジアを重視して日米同盟を相対化すると訴えた。加えて、沖縄県の米軍普天間飛行場に関しては「最低でも県外移設」と表明。しかし、いずれも実現せず、日米関係は不安定化した。安保政策は旧民主系政党の「アキレスけん」と今もやゆされる。 民主党政権最後の首相を務めた野田氏は代表選で当時を振り返った際、「前の前(の鳩山政権時)に日米関係がかなり後退していた。私は立て直しの役だった」と苦々しく語った。当時を知る立憲関係者は自嘲気味に語る。「あの時は自民党や官僚が寄ってたかって潰しに来た。今、野田さんが変えると言っても霞ケ関(の官僚)が猛反発して変えられないし、変わらないよ」【川口峻、中村紬葵、ワシントン秋山信一】
石破首相の「こだわり」分かりやすく示して 川口峻記者
9人もの候補者が立候補した自民総裁選のさなか、石破茂首相が強烈な自負心とこだわりを見せたのが安全保障政策だった。 総裁選の構図が固まる前から防衛政策では誰にも負けないとの自信を示し、豊富な知識と経験で他候補との差別化を図ろうとしていた。告示日の演説では10分程度の限られた時間の6割を安保に費やしたことも、石破氏らしさだったと思う。 一方、難解な安保用語を用いることもしばしばあり、政府が毎年発行する防衛白書にも近年は載らない用語を使い、「記者がこんなことも知らないとは」とあきれてみせる場面もあった。 日米地位協定の改定もアジア版NATOも、国民的な理解を得られるかは首相の問題意識や説明が広く共感されるかどうかにかかっている。安保に関する議論は概念的になりやすく、自衛隊など最前線の動向や能力も公にされることはほぼない。首相には安保の議論を専門家だけのものにせず、国民に広く、分かりやすく示してほしい。