コロナ禍、注目集める「知事力」 国と地方のあるべき関係性とは?
県境を越えた視点も
何人かの知事は、130年前の馬、船、徒歩の時代の47府県の区割りが、産業政策にも環境対策にも、感染症対策にもいかに合わないか気付いているはずだ。住民にも「わが県に来ないで下さい」「わが県を出ないで下さい」と叫ぶ知事の姿は滑稽(こっけい)でしかなかったはず。というのも、生活圏、経済圏は交通・情報通信手段の飛躍的発達で大きく拡がり、県内で生活は完結しない。川を泳ぐか渡し船で渡った時代の「県境」を後生大事に「壁」と捉え、そうした発言をする知事らの行動に違和感を持った人も多かったのではないか。 ここに来て緊急事態宣言が解除された過程で、国は「京阪神」「首都圏」という言い方で広域圏を対象にした「解除判断」を行った。ようやく分かったか、という感じがする。知事らはここに着目しなければならない。各県が自治体間競争で切磋琢磨することも大事だが、同時にもはや県単位で対応しても限界がある分野も多いという点だ。コロナ対策はその適例だ。 病院のベッド数に余裕があるところ、ない所、医師、看護師などマンパワーに余裕があるところ、ない所、それぞれが圏域で補完し合えば政策効果はもっと上がる。 その点、全国知事会議で大阪府の吉村知事が関西圏に1つ、東京圏に1つ、IRセンターを国に至急作ってくれと発言したことは時宜にかなっている。だが、それに止まってはならない。知事らは各圏域で専門家会議を共同設置し、共同でガイドラインをつくり、共同でマンパワー、財源を出し合って問題解決を図る、そのような柔軟な対応、圏域行政へ踏み込んだらどうか。そのことで解決される課題は多い。これが州構想へ結びつくならなお良い。政治は将来を設計することだ。明治の廃藩置県が人口拡大期に備えた政治革命だったとすれば、これからの人口縮小期に備えた政治革命は「廃県置州」ではないだろうか。