コロナ禍、注目集める「知事力」 国と地方のあるべき関係性とは?
国と地方 役割分担は?
国と地方自治体にはそれぞれの役割がある。 コロナ対策で言えば、国際協力、出入国管理の徹底などの水際対策、ワクチン開発への投資、そして3割自治とも言われる乏しい自主財源しか持ち得ていない地方への財源配分は国が責任を持って行うべき政策だ。一方で、地方が行う施策については緩やかなガイドラインを策定するにとどめ、地方の自主性に委ねることが必要だ。 細長い日本列島は地域ごとに気候にも地域性にも大きな違いがある。コロナの感染状況1つとっても、北と南、大都市と地方、農村では傾向が大きく違っている。全国一律、1つのモノサシでしか法制やその運営ができないのが国の仕事の仕方であり、施策の限界だ。必要な分野だけに国の役割を限定すれば良い。 安倍晋三首相が突然2月27日のコロナ対策本部会議で、3月2日から小中高校の全国一斉休校を求めると発言し全国に要請した。あの国の一律のやり方でどれだけ各地に不況が生まれ、教育現場が混乱したか。閣議決定から2か月が経ったのにも関わらずまだ行き渡っていない全世帯へのマスク配布(厚労省のホームページによると、6月1日時点で配布済みは約53%)。1人当たり10万円ずつ配るというやり方に市町村窓口は混乱し、どれだけ政策効果が期待できるのかも、誰も証明していない。住民の間には早くもらえればそれでよい、という声はあるが、12兆8000億円の赤字国債は今後国民に重くのしかかる。
自治体同士の「知恵比べ」
地域によって異なるニーズに応えるには地方レベル、県と市町村に任せるべきだ。今回のコロナ対策で、いかに国の一律のやり方では効果が薄く、スピード感に欠けるかが分かった。逆にいうと、多様化した地域、多元化した住民のニーズに合うよう、迅速に対応できるという地方自治体の価値が再確認された形だ。地方分権を進めることがいかに大事か、多くの国民はよく分かったのではないだろうか。 もちろん、地方に権限を移す分権化の際、権限に責任はつきものであり、成功も失敗も地方首長にはその結果責任を負う「覚悟」がいる。自らが説明責任も負う。大きな判断ミスを犯した首長は支持を失い、辞職せざるを得なくなるかも知れない。 いま、47都道府県の知事の間に、政策競争、アイデア競争の関係が生まれている。この「自治体間競争」を通じて、政策のレベルアップが図られていくなら、税金の無駄使いもなくなり、住民のニーズに合う施策・事業が生まれる。その意味で、知事は国との関係でタテの垂直関係を重視するより、自治体間関係を重視するヨコの水平関係に目を向けるべきだ。国の指示待ちではなく、他県に負けまいと知恵を絞る、それが住民にプラスになる。