「まゆ毛や体毛の育毛剤」だけを作る会社、薬事法改正でピンチに SNSマーケティングでソフトバンク出身4代目社長が気付いた「マイノリティー」の市場
「頭髪・まつ毛以外の育毛剤」としてほぼ唯一といえる「ミクロゲン・パスタ」。製造元は、わずか9人の小さな製薬会社「啓芳堂製薬」(東京都文京区)。この薬1種類だけを長年手がけている。1958年の発売以来、体毛用育毛剤というニッチなカテゴリでありながら、眉毛や体毛の薄さに悩む人たちに根強く愛されてきた。創業者の孫で、4代目代表取締役社長・中島健雄氏は、通信業界大手ソフトバンクから50代で家業に戻り、コロナ禍の中でブランディング、マーケティングの変革を進めた。中島氏の、事業を承継して改革に至るドラマに迫った。 【動画】専門家に聞く「事業承継はチャンスだ。」
◆ソフトバンクなど、多彩な経歴
――中島さんの経歴を教えてください。 私は、昔からコンピュータやゲームが好きで、家業に関係なくコンピュータに関われる仕事ということで、新卒でコメの卸売大手「山種産業(現・ヤマタネ)」に入社しました。 家業を継げと言われたことはありませんでした。 山種産業は当時、情報部門を新しく組織して強化するタイミングで、物流システムの開発を担当したり、社内ベンチャー制度に応募してパソコンショップやインターネット事業を企画して立ち上げたりしました。 15年ほど勤めたのち、2000年にソフトバンク・ブロードメディア(現・ブロードメディア)に転職しました。 当時はインターネットが爆発的に普及しはじめた時期で、ちょうどソフトバンクが通信事業に参入した頃でした。 ソフトバンクではインターネットコンテンツの新規事業の立ち上げを行い、その後は渉外部に転籍して、業界団体の事務局業務を行いました。 2015年からは3年間、一般社団法人ブロードバンド推進協議会(現・一般社団法人SDGsデジタル社会推進機構)の事務局長も勤めました。 ――キャリアを順調に築いていたのに、なぜ家業を継ぐことを決めたのですか? 啓芳堂製薬は私の祖父が1953年に創業した会社で、祖父から父へ、その後、兄へと社長が引き継がれました。 私は2018年にソフトバンクを辞めて啓芳堂製薬に入社したのですが、それは周囲の要請があったからです。 当時、啓芳堂製薬の売上は伸び悩み、ピンチを迎えていました。 それは、薬事法の改正です。 かつては全国約7,000店舗のドラッグストアで販売していたのに、薬事法が改正されて「ミクロゲン・パスタ」は薬剤師による販売が義務付けられる第一類医薬品に分類され販売できる店舗数が約4,000店に減少しました。 販路が小さくなる一方ですが、品質を維持しながら製造を継続する体制を維持しなければなりません。 そこで役員で話し合い、新しい血を入れようとなり、さまざまな仕事を経験していて起業の経験もあるというので私に白羽の矢が立ったのです。