書籍のヒット連発で新潮社この1年の好調 長岡義幸
BTSオフィシャルブック日本版の“仕掛け”
BTS本の翻訳権を取得して日本語版の刊行を進めた出版企画部部長の正田さんは、オフィシャルブック『BEYOND THE STORY』の各国版のいくつかをテーブルに並べた。それぞれの版は、すべてBTSの事務所から出版権を得て、同一の内容・仕様で製作されたものだ。ページの構成も変わらない。 ところが一冊一冊を見比べると、けっこう違っていた。新潮社版は韓国版と同じ判型だが、違う国もある。また中面も、メンバーが写る写真が小さかったり、裏写りしていたり、色の加工ミスのようなページのある国の本もあった。印刷や製本、編集の技術の違いがあるのだろうが、国ごとの差異は一目瞭然だった。 「品質を下げて値段を安くすることもできなくはなかった。ですが今回の場合は、クオリティを下げず、オリジナル版の最高品質のまま読者にちゃんと届けるのが目的でした。結果としては、各国に比べると日本での定価は高くなった。なぜ日本版は高いんだという声も予約段階でちらほらありましたが、刊行後、実際に手に取っていただいてからはそういった声は聞こえなくなりました」 日本版と他国版を手に入れた熱心なファンがその差に驚き、新潮社版には価格に見合うクオリティの高さがあるとSNSに投稿してくれたりもしたという。 韓国版をはじめ9言語の各国版は、世界同時発売だった(その後の発売を加えると計25言語以上で刊行)。先に仕上がった韓国版をもとに翻訳版を出すのかと思いきや、韓国から制作途上の原稿が次々届けられ、並行して進行するという離れ業だったという。 「発売まで正味3カ月間の突貫工事でした。それも500ページ以上の翻訳本。やはり大変だったのがオリジナルの韓国版も制作途中だったことです。全員で走りながらつくりました。正直なところよく間に合ったなっていうところです」 とりわけ監訳を担当した翻訳家の桑畑優香さんの存在は欠かせなかったという。メンバーに直接インタビューした経験があり、コロナ禍のなか開催されたアメリカでのコンサート、22年に行われた韓国・釜山でのコンサートにも参加してメンバー7人の言葉を聞いてきた人だ。 「メンバーの特徴をよく掴んでいるので、自然に喋(しゃべ)っているような日本語にできた。彼らを知らない翻訳者だったらファンはたちまち違和感を覚えたでしょう。また、ある曲が出てきたときに『どんな曲?』なんて調べる時間もないほどのスケジュールでした。いちばん信頼して翻訳をお願いできる人がそばにいたこと、タッグを組めたことに感謝しています」 BTS本の刊行は、社外はもちろん、社内でもごく一部の人としか共有せず、秘密裏に進められたという。ファンのための本であり、ファンを驚かせるために情報解禁日を6月15日と定め、いっせいに告知して予約を募るという全世界的な“仕掛け”だったからだ。それゆえ新潮社でも極秘のうちに、この豪華仕様の本を進めなくてはならない。そのために編集部のほか営業、プロモーション、装幀、校閲、営業などでチームを組み、印刷会社、製本会社と秘密保持契約まで結んで作業をしたそうだ。 こうして迎えた発売日、書店には朝から予約をしていたファンが購入に訪れ、在庫は一気になくなってしまった。大型企画なら書店の平台でうずたかく積まれるというイメージがあるが、たとえば紀伊國屋書店のサイトでは予約開始から数分で売り切れ、店頭に大部数が並ぶ間もなかった。発売から2日で重版を決め、8月3日に1万2000部を書店に配本したという。 「BTSの情報はX(旧ツイッター)をはじめネットで拡散していく。熱心なファンの皆さんに、つどきちんと情報を届けることを心掛けました」 12月25日には電子版も配信した。紙版は1・2キロあり、持ち運びするには重い。いつでも読んでもらえるよう韓国では未発売の電子版の許諾も取った。 「社内でもこの本がうちから出るんだと、驚いた人もいた。この本を出したことでの一番の収穫は、若手の編集者に対して、文芸出版社のうちでもこうした大きな仕掛けの本をつくることができるんだ、やる気になれば更なる大きな挑戦もできるんだというメッセージになったことではないでしょうか」