書籍のヒット連発で新潮社この1年の好調 長岡義幸
二期連続の直木賞に村上春樹さんの新作も
各部門の責任者にも話を聞いた。文芸書の状況を出版部副部長の新井久幸さんに尋ね、『成瀬は天下を取りにいく』の編集を担当した出版部次長の西山奈々子さん、BTS本の日本語版刊行を進めた出版企画部部長の正田幹さん(執行役員)、コミック事業本部の「くらげバンチ」編集長の折田安彦さんに、登場願った。 文芸書の動きを出版部副部長の新井さんは次のように概括した。 「二期連続の直木賞というのは、そうあることではありません。久しぶりのことで、社内的にも大変盛り上がりました。 また、ふだんはあまり本を読まないけどこの人の新刊だけは必ず読む、という読者も多い村上春樹さんの最新長編『街とその不確かな壁』も出て、やっぱり大いに盛り上がった。ニュースも流れ、『あれ読んだ?』と、あちこちで話題にしていただきました。 そして、最大のトピックは、刊行までの過程の抜本的な見直しが、上手く回り出したことです。全部の作品に対してはなかなかできないのですが、編集部だけではなく、営業部やプロモーション戦略室と一体になって宣伝・販売のやり方を考え、刊行までに十分時間を使うようにしました。書店にプルーフ(仮とじの見本)を送って読んでもらい、気に入ってくれた方には応援団になってもらう。個別の拡材や、大量のサイン本を用意するとか、できる限りのことはやろうという意気込みで臨んでいます」 コロナ以前は、小説の刊行前に書店員を新潮社に招き、作家と懇親するという場を設けていたものの、ここ数年中断していた。23年は久々に『君が手にするはずだった黄金について』を上梓する小川哲さんとの懇親会を開いたという。 「会社の食堂に、ケータリングで食べ物や飲み物を用意するという手作りの会です。書店のみなさんが、ゆっくり作家と話せる場にできたらいいなと思っています。書店まわりもいいんですが、基本的に、サイン本をつくったらすぐ次の書店へ、となってしまう。そういう、もうちょっと話したかったな、という物足りなさを解消できたら、と」 懇親会では、最初に担当編集者と作家が簡単なトークをして質問を受け、その後は、食堂の丸テーブルを小川さんが移動しながら、書店員と交流したそうだ。 「大勢の前では質問しにくいこともありますよね。直接話すことでたいへん盛り上がった。書き手の顔やつくり手の顔、版元の顔とかが見える。人間が書き、人間がつくり、人間が出しているみたいなところが、うまく書店の人、ひいては読者にも伝わるといいなと思っています。ぼくらにとっても、あの人が応援してくれているんだと、顔が見える関係になるので、とても嬉しく、楽しい場ですね」 このような取り組みによって得られた書店員の声は、推薦文として活用し、読者にも強く訴求しているようだ。 出版部では坂本龍一さんの遺作となる自伝『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』を6月に刊行した。雑誌『新潮』の22年7月号から23年2月号まで8回の連載をまとめたものだ。坂本さんが3月28日に亡くなる直前まで担当編集者が伴走し、二人三脚でつくった。 一方で、『保田與重郎の文学』(前田英樹著)という、1万4300円(税込)の高額書も刊行した。800ページ近い分量で少部数ゆえに、このような値付けになった。 「そんな高いもの売れるのか? みたいな声もあったんですけど、数読みは難しかったものの、高くてもほしいと思う人はいるだろうと考えました。ぼくらは“持ち重みのある本”って言い方をするんですけど、造本そのものにも価値が見出せるように工夫した。少部数でも高額で勝負し、必要な人の手にきちんと届けるという方針で、増刷もでき、とても上手くいきました」 紙の本ならでは、として新井さんが勧めるのは、文庫の『世界でいちばん透きとおった物語』だ。 新井さんはこんな裏話を語ってくれた。 「ある種の仕掛け本なんです。本そのものに企みがある。杉井さんがこの作品を書くにあたって意識された、ある作家の作品が新潮文庫に入っているんです。その作品も紙の本ならではの企みがなされている。新潮文庫から出したいと杉井さんが思ってくださったのも、クラシックをきちんと読める状態でラインアップしているという、新潮文庫の強みが出たのかなと思ったりしています」