知ってはいたつもりだったけれど… 上野千鶴子が初めての“転倒事故”で身に染みた“他人の親切”
「これであなたも転倒組のお仲間入りね」
聴衆に看護師さんがいて、さんざん脅かされた。「痛みは今日より二日後、三日後につよくなります」「頭を打っていないといっても脳内出血してあとから麻痺が出てくることもあります」「帰ったらもう一度受診してレントゲンをとってもらってください」……そのとおりにした。 腰椎圧迫骨折の診断を受けた。整形外科の医者に、「飲み薬の痛み止めは効かないでしょ」と言われて「はい、効きません」と答えた。知ってるのなら処方するな、と思ったが、代わりに坐薬の処方箋をもらった。それが効いているあいだだけ、正気でいられた。骨折に医者ができることはほとんどない。コルセットと湿布薬と鎮痛剤、この三点セットで日にちぐすりを頼りにするだけだ。 「どのくらいかかりますか?」「三週間はかかります」、そう言われてちょうど三週間めの外出だった。あまりに気持ちがうっとうしいので、秋晴れの午後、近くの花屋までリハビリがてら花を買いに行こうと思ったのだ。そろそろと歩きだして、手すりがない街路をおそるおそる歩く。段差がないか注意深く目配りし、ひとにぶつからないか不安が募る。そのわたしのそろそろとした足取りを、後ろから来たひとたちが、老いも若きもつぎつぎに追い抜いていくのだ。 いずれは、と言いながら、その「いずれ」はわたしの想定のなかにはなかった。このけがが腰椎骨折や頸椎骨折のような致命的なもので、下半身麻痺などでこの先二度と動けないとしたらどれほどの絶望感だったろうという思いがちらりとよぎる。 覚悟も何もできていなかった。治ると言われてそれを期待できることが、どんなに幸運だろうか。予約した今年のスキー場のシーズン券が頭をかすめる。今年はスキーができるだろうか? 快晴の秋天を見て、暑くなく寒くなく、いまがいちばんお散歩にいい季節なんだけどなあ、とウォーキングシューズをうらめしく眺める。 周囲の友人たちにこの転倒事故の話をすると、わたしも、わたしも……と転倒経験がつぎつぎに出てくることに驚いた。年上の女性からは「これであなたも転倒組のお仲間入りね」と宣告された。そうだったのか、いずれは誰もがたどる道とは。 転倒はいつでもどこでも予期せぬところで起こる。室内でも起こる。カーペットの0.5ミリの段差でも起こる、すわっているだけで圧迫骨折になることもある。骨を折ったの、腰をねじったの、手をついて肩を痛めたの、前のめりに倒れて顔を打ったのと、転倒百貨店の品ぞろえもさまざまだ。