【大岩ジャパン総括】879日――紆余曲折の航海を続けた2年半の物語。未来に残したレガシーとロスへの宿題
21年のU-17W杯、U-20W杯も中止
879日――。延べ2年5か月に渡る戦いは長いようで短かった。 喜びを分かち合った時も、意見をぶつけ合った時もある。一方で数え切れないほどの悔しさを味わい、涙を流した。理想と現実の狭間で、やり場のないもどかしさを押し殺しながら最適解を探した夜は、一度や二度ではない。 【PHOTO】パリでの悔しさを“フル代表”に繋げろ!パリ五輪準々決勝スペイン戦後、涙を流すU-23日本代表イレブン 五輪までの道のりは、まるで出口のない迷路をさまようかのようだった。ようやく見つけた一筋の光とともに、降り立った最後の舞台。グループステージで3連勝を飾り、56年ぶりとなるメダル獲得への期待が膨らむなか、8月2日の準々決勝・スペイン戦を迎えた。しかし――。 結果は0-3。前半終了間際にFW細谷真大の“幻の同点弾”が決まっていればという想いはあるが、敗戦の事実は変わらない。U-23日本代表の夢はリヨンで儚くも散った。 誤解を恐れずに言えば、発足当初のパリ五輪世代に対する期待値は、決して大きくなかったように思える。パリ五輪に向けてスタートを切った当時は、コロナ禍からの脱却を目ざす真っ只中。21年のU-17ワールドカップもU-20ワールドカップも中止となっており、経験値不足が叫ばれるなかでの船出だった。 絶対的な選手の不在も不安材料のひとつで、最終的にエースの合流は本大会でも実現しなかったが、すでにA代表の主軸で21年夏の東京五輪で活躍したMF久保建英の参加は不透明。他の面々を見ても、FW斉藤光毅がベルギー2部でプレーし、東京五輪を経験したGK鈴木彩艶が有望株として注目され、MF荒木遼太郎、MF鈴木唯人、DF西尾隆矢が22年1月のA代表候補合宿に名を連ねた一方で、他の選手の知名度や実力はまだまだ乏しい。Jクラブでポジションを掴み始めている選手が数名いるだけで、ほとんどのプレーヤーは出番を得られていなかった。 また、経験値やタレント不足に加え、本大会やアジア最終予選(U-23アジアカップ)で誰が呼べるか分からない五輪世代特有の問題もあった。五輪本大会はもちろん、U-23アジアカップはインターナショナルマッチウィーク外の戦いとなる。 過去の経験則からJクラブの了承を取り付けられたとしても、海外クラブとの交渉は一筋縄ではいかない。近年、20歳前後で海を渡る流れが強まっており、本大会までの2年5か月で欧州組が増えることは目に見えていた。 そうした状況下で、2021年12月にパリ五輪世代の舵取り役を託されたのが大岩剛監督である。22年3月上旬に千葉で行なわれた立ち上げとなる活動でも、指揮官はこんな言葉を残していた。 「スケジューリング、招集メンバーの有無、できるのか、できないのかというところで、都度判断していかないといけない。五輪代表“あるある”なので、計画性と即興性を持って、しっかり判断しなければいけない」 五輪世代が抱える問題はもちろん、世界で戦う基準を考えた際に、個々の能力でも経験値の面でも少なからず心配を感じたのは今でも覚えている。
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