『家族だから愛したんじゃなくて~~』『国道沿いで、だいじょうぶ100回』の作家・岸田奈美さんに訊く 家族、自分、困難乗り越え術
岸田さんの「だいじょうぶ」に込められた想い
–書籍『国道沿いで、だいじょうぶ100回』の中でも触れていますが、岸田さんにとって「だいじょうぶ」という言葉にはどのような気持ちが込められているのでしょうか? 岸田さん:自分の力が及ばないこと、手を尽くしてこれ以上できることはないということに対して、最終的に励ますことしかできないと思っているので、そういうときに「だいじょうぶ」という言葉を使います。そこまで行くとあとは祈るしかないから、なんとかなれ!みたいな気持ちですね。 ■最終的には自分を信じられるかどうか 例えば、母が大きな病気になったとき、私にできることはないんですね。そのときに母に伝える「だいじょうぶ」の意味は「母の病気はきっと治る。あなたなら治療を乗り越えられる」ではないんです。その境地に行った場合、あとは母が何を選ぶか、ということなので、「あなたがこれから選ぶことはきっと何も間違ってないからだいじょうぶだよ」という意味なんですよね。 こういうギリギリのところで一番やってはいけないことは、自分を嫌いになることです。 だから、そんなときはその人のすべてを受け入れる。あなたがやることは間違っていることも含めてきっとだいじょうぶ。どの道を選んでもだいじょうぶ。それは「私がそばにいるからね」という意味でもあるし、最終手段としての言葉です。 前職の尊敬する上司から教わった話があります。イギリスの探検家、アーネスト・シャクルトンの「楽観とは真の精神的勇気だ」という言葉がありますが、「楽観視」は意思で「不安」は気分なのです。楽観は諦めではなく、意思を持って自分を守るための勇気であるということ。私の「だいじょうぶ」はこの考えに近い部分があります。 ■問題が起こる度に対話することで、家族の絆が強まった –岸田家はどうしてそんなに家族の絆が強いのでしょうか? 岸田さん:家族は一番そばにいるのに一番分かり合えない存在だと思います。 毎日顔を合わせるからこそ正直に話せないこともたくさんあるし、面倒くさいこともあります。わが家は危機的状況が何度もありました。でもそれは家族の中の問題というよりは、外の問題が多かったんですね。 「父が病気になって亡くなるかもしれない」「弟がグループホームに入居できないかもしれない」など、問題が起こる度に家族が集まり、それぞれが想っていたことを話せたのがよかったと思います。 私のエッセイや本を読んだ方から、「うちの家族はそこまで話さないから岸田家のような関係にはなれない」と言われることがあります。そういうときは「待ったらいいよ」と。 家族に危機が訪れたとき、それはつらくて苦しいけれど思い切って話せるいい機会だと思います。それを乗り越えたら、いまよりもっと良い関係ができるはず。 岸田家も、さまざまな困難を乗り越えてきました。最近は、母が私に自分の弱みを罪悪感なく話せるようになって。普段からいろいろ相談してくれますが、頼られている気がして嬉しいです。
書籍『国道沿いで、だいじょうぶ100回』 著/岸田奈美 SNSでも話題になったエッセイ『国道沿いで、だいじょうぶ100回』。「魂をこめた料理と、命をけずる料理はちがう」など厳選エッセイ18本を再録。インタビューの中にもあった岸田さんの「だいじょうぶ」についてのエピソードも紹介されています。
撮影(岸田さん)/横田紋子 取材・文/やまさきけいこ