「わしもやりゃあできるんじゃのう」でも90代父は道の真ん中で全く動かなくなり…娘が目撃した「老老介護」の“切実さ”
「老老介護」の日々の切実さ
男らしいことを言っていた父でしたが、私が試しに持ってみてもずしりと重たい荷物です。父は袋を両手にぶら下げて、えっちらおっちら歩いていましたが、しばらく歩くと、 「やれ、たいぎいのう。ちょっと休もうかのう」 と、よその家の軒先の腰かけに座り込んでしまいました。そうやって、家に着くまでに何度休んだでしょう。だけどしばらく休むと父は、 「立たねば何事も始まらん。頑張るぞ!」 と自分を鼓舞してまた、立ち上がって歩き出すのです。私はそれを撮りながら、ホントはカメラを回してる場合じゃないよなあ、私が荷物を持たなきゃいけないよなあ、と娘としての良心の呵責と闘っていました。 特に、家のすぐそばまで戻って来たときに、父が道の真ん中に立ったまま、荷物を地面に置いて下を向いて動かなくなり、本当にどうしようかと思いました。10秒近く全く動かないのです。私は遠くからカメラの液晶画面越しに見ていたのですが、「あれ、どうしたのかな、やばいな」と不安が募ってきて、カメラがカタッと揺れています。その瞬間「カメラを止めて助けに行こう」と思った自分の心の揺れを、そのカタッと揺れる映像を見るたびに思い出します。 でも……その次の瞬間、父は顔を上げて、また前へと歩き出したのです。 ホッとすると同時に、私は、どうか近所の人が私たちを見ていませんように、と祈るような気持ちになりました。誰かにこんな姿を見られていたら、「信友の娘は何をやっとるんじゃ。親に大荷物を持たせて、遠くからカメラで撮りよったが」などと、変な娘だと噂になるのは間違いないからです。 こんなに大変なことになっていたのか……。私は愕然としました。父は「いつもこれぐらい買うて帰りよるんじゃ」と言っていた。ということは、私がいないときは、毎回こうやって、ふうふう言いながら重たい荷物を運んでいるのか。 カメラを回すという目的があったからこそ、私のいない両親の日常を追体験させてもらえたわけですが、90代の父が母を介護する「老老介護」の日々の切実さを、改めて目の当たりにした思いでした。
【関連記事】
- 【続きを読む】87歳の母は「もう死んじゃろうか思うわ」と…実家に帰ると洗濯機から膨大な量の汚れ物が「うわあ、くさいねえ」
- 【続きを読む】90代の父は母の異様な寝姿にギョッとするだろうか? 認知症になった80代の母を前に父が放った“意外なひとこと”
- 【続きを読む】「もたもたしとったら上官に殴られるけん、必死で…」80代の母が認知症に→父親が90代で家事全般をテキパキこなすまで
- 「僕は、夫失格なのだろうか」酒の量が増え、一家心中に共感したことも…大山のぶ代(90)の夫が明かした「妻が認知症になる苦しみ」
- 【追悼】89歳の妻を1人で……財津一郎さんが語っていた“老老介護”の現実「大事なのは絶対に暗くならないこと」