「大手まんぢゅうを育てて鍛える」 岡山の老舗6代目がカフェやソフトクリームで広げた特化戦略の幅
穀粉メーカーでレシピ開発
大岸さんは子どものころ職住一体の環境で暮らし、店内で遊んでいました。代々続く饅頭屋だったため、むしろ他店の和菓子をもらったり食べたりする機会が少なく、もっぱら洋菓子やフルーツを味わいました。「色々な和菓子を食べて勉強したのは、家業に入ってからでした」 現社長の父豊和さんから継ぐように言われたことは一度もありませんが、地元の高校を出た後、東京の大学で経営を学びました。 「大学の友人も家業の後継ぎが多く、実家に帰省すると継ごうかなという話もしていました。父は32歳から社長を務めており、そのくらいには帰ろうと思っていました」 卒業後、菓子作りの上流を理解するため、東京の穀粉メーカーで働きました。菓子だけでなく、パンなども含めたレシピの開発や営業などを担当した後、2016年、家業に入りました。
「知りません」では通用しない
取締役からスタートした大岸さんは「父から特に指示はなく、社内でウロウロして仕事を探す状態でした」と振り返ります。実行したのは、百貨店や小豆の仕入れ先などとの付き合いを深め、自社の歴史を勉強することでした。 「私の歴史は30年ですが、後継ぎとして家業の180年を全て背負い、紡いでいくことが期待されます。若いから知りません、では通用しません。戦時中の空襲で家業の史料が手元になく、岡山城や周りの古い店の歴史も含めてたくさん勉強しました。取材の窓口になる機会も多く、聞かれそうなことは全部予習していました」 大手まんぢゅうは製造のキャパシティーに限界があり、基本的に売り場を急拡大する営業はしていません。 「作り置きができず、(時間が過ぎて)おいしくないものを提供してしまうと、次が無くなってしまいます。『冷凍して米国に輸出すれば売れる』といったオファーもありますが、それはあるべき姿ではありません。末永いお付き合いをしてもらえる商品にしないといけません」 拡大戦略に限界があるなか、大岸さんが考えたのは、土産物にとどまらずできたての味と「出会う」機会を増やす作戦でした。