眼鏡への恩/執筆: 柴田聡子
横浜にある、その名の通り素敵な眼鏡店『素敵眼鏡MICHIO』に出会ってからというもの、私の手元には眼鏡が増え続けている。以前は、メインでかけているものが壊れたり、アルバムのジャケットなどここぞという時をきっかけに買い足して、だいたい2、3年に一本増えるくらいだったからおどろく。 柴田聡子さんの1か月限定寄稿コラム/TOWN TALK
店主のMICHIOさんからそれぞれの眼鏡の物語を聞くと感動する。さまざまな種類の格好よさを備える眼鏡それぞれの歩んできた歴史や、手元に来たいきさつに引き込まれ、面白くて聞き入る。その眼鏡をとても近しく感じて、ください……とじんわり伝える。
MICHIOさんの店と出会う前、前述の眼鏡を買い足す機会には有名眼鏡店にも訪れた。場違いかな? とどきどきしながら荘厳なおもむきの陳列棚を眺めている時、これは宝だなあと感じていた。そして私はその価値もわからずにただ値付けされた金額でもってさらっていく強欲なやつのようにも思えた。店員さんが製品について説明をしてくれるものの、産地はどこで、形状はこうで、くらいでなかなか深く聞く雰囲気を作り出すこともできず、話が長くなってしまうにつれて、お店なんだから買う人以外きっと興味ないよなと後ろめたくなってきて、今までもじもじしていた人間がいきなり、これください! と購入決定を告げて戸惑わせていた。そうして手に入れたすばらしい眼鏡は家でも宝として扱われ、かけるたびにちょっと緊張して、結局は慣れた一本に戻って、宝として秘められるばかりになっていることも多かった。
そんな遠慮がちな眼鏡との関係も経て、MICHIOさんの店で眼鏡を買ったり作ったりして、眼鏡の歴史や眼鏡を支えている人々、そのたいへんな技術とぞくぞくと触れ合って、眼鏡と付き合い慣れて見知っていくうちに、その日の気分やムードというものを眼鏡が助けてくれるような感覚を持つようになった。今日はつよく居たい、弱く見えたい、なんでもなく過ごしたい、自分を奮い立たせたい、そういう毎日の気の持ちようを眼鏡が後押ししてくれる。宝として接しているうちには、アガるとかはあっても、心づよさみたいなものはなかったと思う。きびしかったり、狙いがあったり、ただただ馬鹿みたいだったり、そんないろいろの物語の中に包んでもらうと、ほっときもちが楽になり活力が湧く。ファッションが、その中で眼鏡が時間を積み重ねてきてくれたからこそだと思う。すごいことだ。