J2優勝“翌シーズン”にJ1優勝争いのFC町田ゼルビア。黒田監督が「たった2年でトップチームに押し上げた」2つのこと
―[水野俊哉]― 会社の組織マネジメントはしばしば、スポーツにおけるチームマネジメントにもたとえられる。対象のスポーツがお金を生み出す、いわゆる「プロスポーツ」であれば、経営やビジネスにつながる部分も多くあるはずだ。企業とは異なるトップたちの手腕に迫ってみたい。 今回は、FC町田ゼルビアの黒田剛監督にスポットを当てる。9月4日には『勝つ、ではなく、負けない。 結果を出せず、悩んでいるリーダーへ』(幻冬舎)という書籍も出版され、増刷がかかった。今もっとも注目されている監督と言っても過言ではないだろう。 黒田監督といえば、2023年シーズンからFC町田ゼルビアの監督に大抜擢され、悲願だったJ2での優勝を導いた人物。2024年シーズンは昇格初年度のJ1リーグでいきなり首位に立ち、現在も優勝争いの渦中にある。過去に類を見ない結果を出し続けている黒田監督だが、一方で戦い方に疑問を持つ声も多く、ネット上ではしばしば賛否両論の意見が見られる。 インタビュアーは、出版プロデューサーでビジネス書作家の水野俊哉さん。出版プロデューサーとして数々のヒット作を世に送り出す傍ら、『トップ1%のサッカー選手に学ぶ成功哲学』(すばる舎)の著作もあり、自らも作家として多くの書籍を出版している水野さんが、黒田監督のチームマネジメントとそれに伴うコミュニケーションの方法、また指導において意識していることを聞いた。
◆52歳でプロチームの監督に転身。アマチュアチームからの大きなチャレンジ
水野:FC町田ゼルビア就任1年目にしてJ2優勝&J1昇格、そしてJ1初昇格チームがいきなり優勝争いと、ご自身だけでなくチームの歴史をも大きく動かしたと思うのですが、就任時は高校チームで28年というキャリアからのチャレンジでしたね。 黒田:はい。私自身、小学校から大学までサッカーを続け、大学卒業後も教員として働きながら、中長期の休暇には母校サッカー部の指導にあたっていました。そこから紆余曲折あり、縁あって1994年に青森山田高校サッカー部のコーチ、翌年から監督、そして教員として2022年までの29年間指導にあたってきました。 なかなか思うような結果を出せず苦しい時期には、全国で優勝経験のある監督に話を聞くために全国各地をまわったりして勉強しましたね。 水野:経験と知識を地道につけてこられたのですね。2006年にはサッカーの国内最高位の指導者資格であるS級ライセンスを取得されています。このときからJリーグの監督になることを視野にいれていらっしゃったのですか? 黒田:いやいや、そんなことは微塵も考えていませんでした。青森山田は毎年のように多くのプロ選手を輩出してきました。そんな選手たちがプロに行っても通用するためには、もっとサッカーに関する深い知識や経験を身につける必要があると感じ、ライセンス取得を目指したのです。 水野:結果、その資格が52歳で活かされることになるわけですね。まさに2023年からFC町田ゼルビアの監督に就任するわけですが、50歳を超えて、しかもより厳しい世界へのチャレンジに不安はなかったのでしょうか。 黒田:2021年に全国高校サッカー選手権で優勝し、青森山田は一年で全国3冠を達成しました。そのとき自分の指導人生に一区切りついた気がしたのです。 心にポッカリ穴が空いたというか、たった一度の人生なので、もっと高いレベルで挑戦してみるのも自分らしい人生だし、「絶対に後悔のない人生を送りたい」と、微かにそんな気持ちが芽生えるようになってきていた、ちょうどそんなタイミングに届いたのがゼルビアからのオファーでした。 チームは長年に渡りJ2やJ3を行き来していて、なかなか念願のJ1に上がれない状況が続いていました。「クラブを大きく変えたい」「なんとかJ1に参入したい」。そんなゼルビアの思いを強く感じオファーを引き受けることにしたのです。 ただ、これまで約30年かけて一から作り上げてきた青森山田を手放すのも、可愛い選手たちを置いていくことも、本当に辛い決断であったことは間違いありません。私もある程度年齢を重ね、監督の役職を教え子(コーチ)に受け渡していくタイミングでもあったと思います。 水野:そして就任してすぐに監督の予想通り、チームは大きく変わり結果を出すことができました。 黒田:それはもう私の力というより、メンバー、スタッフ全員が「みんなで取り組めばJ2での優勝はできるんだ」「J1昇格を勝ち取ろう」という強い思いが一丸となったからだと思いますね。