衆院選と同じ日の「最高裁判所裁判官の国民審査」何を“基準”に投票する? 法律が定める正しい“投票ルール”とは
すべての国民にとって「自分ごと」
以上の説明は理論的な意味しか持たないように思えるかもしれない。しかし、上脇教授は「国民審査は私たちの日常生活にも密接に関わっている」と指摘する。 上脇教授:「法律を定める国会においても、基本的人権に関する多数派の無理解や無関心によって少数派の人権が侵害されることがあります。一例を挙げると、最近になってようやく国の損害賠償責任が認められた『旧優生保護法』の問題はその最たるものです。 また、誰もが、ある日突然、公権力から人権侵害を受けるおそれがあることを忘れてはなりません。近年でも、冤罪で身柄拘束を受けたり、違法な行政処分によって財産権等が奪われたりする例がありました。 最高裁判所は、そういうとき、国民の権利・自由・平等を守る最後の砦です。政治部門である国会・内閣(行政)が国民の基本的人権を侵害した場合にきちんと『憲法違反だ』と判断しなかったら、最高裁の裁判官はその役割を放棄したことになります。 他方で、最高裁判所長官の指名とその他の裁判官の任命は内閣、つまり行政のトップが行うことになっています。そして、内閣総理大臣は国会の多数派から選出されます。 最高裁判所の裁判官が『政治部門』によって選ばれる一方で、国民自身は裁判官の任命に関与する手段がないのです。 そのようなしくみの下で、もしも、国民審査の制度がなかったら、国民の人権を守ってくれない裁判官を排除する手段がまったくないことになります。 したがって、国民主権原理と基本的人権の尊重の見地から、国民審査の制度はきわめて重要なのです」
意味があるのは「×」だけ…国民審査の“投票ルール”とは
では、現行の国民審査制度はどうなっているのか。そもそも漠然と「国民がその裁判官の良し悪しを判断する制度」という理解はされているものの、法律で定められた正確な投票ルールが十分に知られているとはいえない。 国民審査の具体的な方法については「最高裁判所裁判官国民審査法」という法律で定められている。そして、投票の方式については以下の通り、罷免すべきと考える裁判官について「×」のみを記入するよう規定している(同法15条1項、【画像1】参照)。 裏返せば、積極的に「罷免すべき」という以外の意思表示、つまり「信任したい」「罷免すべきでない」という意向や「どうすべきか分からないので棄権したい」などの意向は、一切反映されないことになる。