衆院選と同じ日の「最高裁判所裁判官の国民審査」何を“基準”に投票する? 法律が定める正しい“投票ルール”とは
「×」の投票しか効力がないことの問題点
なぜこのような制度になっているのか。それは制度設計として適切なのだろうか。 上脇教授:「最大の理由は、憲法79条3項が『投票者の多数が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は、罷免される』と定めていることです。 あくまでも『リコール』、つまり、辞めさせたい人を辞めさせるしくみを指していると解釈されているのです。 古い最高裁判例も、この立場を前提として、現行制度は合憲だと判示しています(最高裁昭和27年(1952年)2月20日判決参照)。 ただし、違憲とまではいえないとしても、現在の投票方法が適切かどうかは別の問題です」 上脇教授は、せめて「棄権」の意思表示ができるように制度を改めるべきだと指摘する。 上脇教授:「現在の制度は、審査する側である有権者の立場への配慮が欠けていると考えられます。 たしかに、辞めさせたい裁判官に票を投じる『リコール制度』である以上、積極的に『〇』を信任と扱う投票方法にしなければ憲法違反だ、と評することは難しいかもしれません。 しかし、『投票』という行為は本来、明確な意思をもって行うべきものです。『意味がわからないまま白紙で投票する』あるいは『罷免すべきかどうか判断できないのでやむなく白紙で投票する』というのは審査のあり方として適切ではありません。 現行の制度では、以上の2つのパターンはいずれも有効投票数の母数にカウントされます。つまり、『どちらとも判断できない』という意味での白票が、事実上『積極的な信任』『消極的な信任』と同じ扱いになってしまいます。 母数にカウントされたくなければ、棄権するほかありません」
「判断できない」「判断したくない」を反映させるには?
そのような場合、実は、現行制度でも「棄権」をすることが法的には認められている。投票用紙を受け取らないか、あるいは投票せずに返却すれば、投票を棄権できる。 しかし、この方法で棄権すると、たとえば、「×を付けたい裁判官」と「どちらとも判断できない(棄権したい)裁判官」の両方がいた場合に「×を付けたい」という意向が犠牲になる。 また、棄権の方法はどこにも書かれておらず、教えてもらえることもない。結果的に、現行制度では『判断できない』『判断したくない』という人の白票が、有効投票数の母数に相当数カウントされていることになる。 上脇教授:「本来、対象となる裁判官1人1人について投票用紙を配布し、『棄権したい』という裁判官の投票用紙は受け取らなくてよい、とするのが理想でしょう。 しかし、それでは開票事務が煩雑になるかもしれません。そうであれば、現行の形式でも、1人1人について『棄権』の欄を設け、『判断できない』『判断したくない』という意向を反映できるようにすべきではないかと考えています(【画像2】参照)。私の立場からすると、現在の投票方法は投票者の棄権したいという意思を尊重していないので憲法違反です。 なお、私がこの見解を表明するのはこの場が初めてです」