DV父に皿で殴られ、小2で祖母を「強制介護」…友達趣味なし月13万円非正規で働く30歳男性が過ごした「地獄」
殴る理由はなんでもよかった
小学4年生の時、急に祖母は違う親戚の家で看ることになった。仔細な事情はわからないものの、村田さんは「強制介護」生活から解放され、学校に通えるようになった。繰り返すが、まだ小学4年生の時のことである。 日常的に続いていた父の虐待が終わることはなかった。父は、祖母のことではなく、村田さんが勉強できないことを口実に暴力を振るうようになる。 「ヤングケアラーの時は学校にも行けず、周りに比べて勉強はできなかったので、次はそれを口実に手を上げてきました。いつもテストで100点を取らないと、父は決まって脇腹の下を思いっきり殴ってきて、私が床に蹲っていると食器で顔を殴るんです。 父に抵抗するほど虐待はエスカレートしていき、風呂の浴槽に頭を沈めて窒息させようとしたり、包丁を振り回してきたりと、次第に行動はエスカレートしていきました。 他にも、『祖母が家からいなくなったのはお前のせいだ』とか、同級生が転校した時に『転校したのはお前がいじめたからだ』とか、難癖をつけて虐待を正当化してくる。父からしたら、自分を痛めつけられれば、理由はなんでも良かったんでしょうね。 怒られたくない一心で勉強していたら、だんだん成績が上がったんです。成績を口実にできなくなった父は、今度は『家事をしろ』と殴ってくるようになりました。それ以降は、家では勉強を禁止しておきながら、学校のテストが悪いと暴行を振るうように、何かと縛りをキツくして暴行を振るってきました」
皿で殴られ、食事を3日抜かれ
ある時、皿で殴られて額が切れ、血が止まらなくなった村田さんは、病院に駆け込んだ。病院の先生に事情を説明すると、その医師が児童相談所の職員に通告して、父に職員から連絡が入った。 ただ、父は指導措置で済まされた。その時に父がどのような言い訳をしたのか、村田さんが知る由はないが、結局のところ彼は児童相談所に保護されることはなかった。むしろ実態を報告したことで父は激昂し、村田さんが動けなくなるほど暴行したうえ、病院に行けないよう保険証や金銭を隠して、それが外部に漏れないよう縛りつけた。 もちろんその後も、村田さんは学校の先生や警察にもSOSを求めたが、それでも父から離れることはできなかった。学校が父に電話で事情を尋ねても、決まって父は「息子が言うことを聞かなくて困っている」と同情を買うように誤魔化し、学校もそれ以上は関与することはなかった。 「3日連続で食事を抜かれたり、包丁で刺されそうになったりと、身の危険を感じた時は警察を呼びました。自分に外傷があるときは、父が事情聴取を受けたり、私が児童相談所の一時保護所に匿われることもありましたが、結果的に家に帰されることとなりました。 毎回、父は警察や児童相談所の福祉士と面談する際は、『息子のためを想って』とか、『頑張って勉強して欲しくて』とか、『自分の躾が悪くて迷惑をかけてしまいました』などと偽善者ヅラをするんです。 ある時、家からメモ書きのようなものが出てきて、そこには面談する際の受け答えをどうしたらいいかが書かれていました。そこには『進学校に合格させるため躾を厳しくしてしまった』と、教育を建前にした言い訳が書かれていました。そこまでして父は、自分を家庭に縛り付けて、暴力を振るおうと考えていたのだと思うとゾッとします」