なぜいまだに三浦春馬さんなのですか? 空羽ファティマ
「なぜまだ、三浦春馬さんを表紙に使ってるんですか?」という声があるらしい。あの夏の日から3年半経ち、めまぐるしい世の中だから人気俳優と言ってもそう思う方がいてもおかしくはない。 でも彼がいないことに心を痛めてる人がたとえ少人数になっても「できる限り寄り添う」と決めて続けているのは、世の少数派や社会的弱者の立場に寄り添ってきた半世紀の歴史を持つ稀有(けう)な月刊誌『創』の編集長の篠田さんが篠田さんで在り続ける理由であり素晴らしいところであると思ったりもする。 “元からのファン”たちと、あの日、急に何かに惹きつけられるように自分でも驚くほど彼に心を奪われた“後からファン”のグリーフケアとして私の記事と海扉(カイト)アラジンの切り絵を送り続けてきて、3年半。 初めは「死人に口無しだから書けるのか?」「人の死でビジネスするな」とか「売名行為」とか攻撃する人もいたが、今となっては、春馬さんを卒業する人も多くなり時間とともに批判も影口も“風とともに去りぬ”。 だが、確かに本人不在の中、正直、彼だけのことを書くのは皆さんもお察しの通り、少し無理がある。 思い出や実績を絶賛したり、過去の作品の感想だけ書くなら書けるけど、それだとわざとらしいし、無理やり春馬ネタを探して書くのは品がない。 だから、私は「今、起きてることをどう私が感じているか」を描き、そこに三浦春馬さん的なものを感じた分だけ書き入れて……友だちに話すみたいに、思いつくままにいろんなネタ入れながらゆるーく書いてみたい。 春馬さんのファンの方でも、ファンでない方でも、『創』の読者は年齢高めな方が多いから、月日が経つのが早くなっているように感じているのではないか? それは、歳をとるとその人にとっての1年が、若い時の1年より短く感じるからだという。なぜなら、10歳の1年はその子の10分の1の長さだが60歳の1年は、60分の1しかないから、あっという間に感じるらしい〈転生を描いたブラッシュアップライフより〉。なるほど。確かにそうかもしれない。1日が経つのが恐ろしく早く、ついこの前、年が明けたと思ったらもう2月が終わる。